以上、械闘という切り口から中国社会の歴史を語ってきましたが、識者が語るにはこれが分かるか否かで中国への理解は極めて変わってくると言うことです。
皆さんの中には、武漢でCOVIDが閉鎖されたときに、境界線辺りに出た関刀などで武装した人たちが出現したと言うニュースを目にされた方もおられるかもしれません。
ソースが英国の大衆紙なのでどこまで信ぴょう性が持てるのかは不明なのですが、これは中国では充分にあり得るお話です。
これこそが、械闘時の武装勢力である人々であると見ることが出来るからです。
こういう人々のことを郷勇と言うそうです。
我々は、もう一つの有名な事件で彼らの姿を目にしている可能性があります。
その事件とは、香港民主化運動家に対する白シャツ集団の暴行、乱闘事件として知られている事件です。
こちらに参考ニュースを貼っておきます。
こちらの記事では、この白シャツ集団のうち逮捕された数人は三合会(チャイニーズ・マフィア)のメンバーだったということが書かれています。
これだけ読むと白シャツが全員三合会だったと読み取ってしまうのですが、記事をよく読めばこの時の白シャツ襲撃勢は100名から200名だったと言う表記が見られます。
100と200じゃ大違いでその丼勘定からいかにも中国的な白髪三千丈だと解釈してしまいますが、実際に混雑している地下鉄駅で襲撃好意を働き、電車に乗っていた乗客の抵抗にあって大乱闘になったことを考えたときに、これが実際には10名程度であったということは考えにくい。
では100人以上いたとしたときに、それはどこからやってきた人たちなのか、という疑問がわきます。
香港中のマフィアの若い衆が出撃してきた?
しのぎを空っぽにして?
あってもおかしくはないですが、それだけだと見落とす部分があるようです。
すでに我々は、三合会も含めた中国人の組織単位が械闘基準であるということを見てきました。
最近発表された新書「中国の秘密結社」によると、これら白シャツの人々の正体は、おそらく地元九龍半島の郷勇であったのではないか、という見解がなされています。
つまりは、政治的なイデオロギーや官憲と黒社会の癒着と言ったような問題ではなく、中国独自の世界である地元の郷勇たちと地元を荒らして暴動を行う民主化勢力のある種の械闘だったのではないか、という見立てです。
長い中国の歴史に照らし合わせると、これは非常に納得のいく解説であるように思われます。