ただ今、松の内にてこの記述をしております。
執筆や事務はするのですが、私にとっては本ねん最初の休日といっても良い日です。
私はテレビそのものを観ないのでタレントさんについては殆ど知らないのですが、歌手の人たちに関してはラジオから歌声やトークで接することがあります。
おととしのいまごろ、皆さんはまだ瑛人くんという歌手について話題にしていました。
年末の歌合戦に出演して、そこで発揮した天然ぶりに喝采をしていた頃だったと記憶しています。
あの子は私が住んでいる横浜の出身の子で、当時から地元のハンバーガー屋さんで働いていることなどが話題になっていました。
そのため、地元FMなどで話を聴く機会も多く、その天真爛漫なキャラクターから「この子はちょっと心配なタイプだなあ」という印象を抱いていました。
例の大ヒット曲の次に出した曲も、牧歌的なフォーク風の古いタッチに乗せて、隣室に住む女の子の生活音に耳を傾けて恋愛妄想に浸ると言う、一人暮らしの若い女性が聴いたら鳥肌を立てそうな作品で、彼が一人称と三人称での観測を並行することが苦手なタイプなんだろうなあという思いを抱かせるものでした。
おそらく世の中的にはこの一年で彼のことはほとんど忘れ去られてしまったのでしょうが、そこは地元、横浜では定期的に彼の活動の話が届いています。
最近では、働いていたハンバーガー屋さんが私の団体、SMACの練習所のすぐそばであったことが分かったり、また彼が少年時代に住んでいたのが近所の団地だったことが分かったりしました。
この団地、広いので場所にもよるのですが、区画によっては私の通っていた中学校の学区となります。
かねてより私が最低の場所で育った最低のクズたちの一人として生きてきたことを書いてきましたが、まさにこの中学こそそれを象徴する物でした。
マンガの「クローズ」がヒットした時に「通っていたことが分かると不登校より就職率が下がる」という高校が舞台となっていて、それを読んでいた我々は「あ、うちの中学みたいなとこなんだな」と思った次第です。
もっとも、それも80年代の校内暴力全盛期に広まった評価で、すでに半世紀近く立っている現在ではまた状況も変わると思うのですが、少なくとも私が通っていた頃までは、その中学を出て後に通った高校に行くことは「エリートコース」とあだ名されるような物でした。
その高校の、地元での通称は「バカ学校」です。
そしてこの高校の所在地は、瑛人くんの団地に比較的近い。
興が乗れば私は徒歩で下校したりもしていました。
この、瑛人君の団地をPVの撮影場所にした新曲が、ただいまYOUTUBE上で視聴可能となっています。
https://www.youtube.com/watch?v=cfnyHWnE3t0
自分の少年時代に起きたことを振り返っていると言う、今回も私小説的な作品なのですが、これがまぁ、ご覧になっていただくとお話が早い。
アル中親父のDVで一家離散となったという思い出を語っています。
そうなんだよ。
そういう場所なんですよ。
とはいえ、彼はこれを明るいタッチで表現しており、すでに過去となった物として優しく受け入れています。
歌の最後に「もういーべ」という大いなる許しの言葉が発されるのが、非常に深い物となっています。
大いなる許しを抱いている彼の心の美しさを、神奈川のボンクラがすぐに語尾にべを付けるというべーべー弁で等身大に表現している。
やっぱり彼はいいヤツなのだろうな。
以前に、同じく近所で育ったユーチューバーの女の子が、自分の公式な苗字も分からないような暮らしをしていて覚せい剤の前科があるということを書いたことがありましたが、えぇ、私たちはそういう子供たちでした。
その中で、そのまま自分の親たちと同じような大人になる大多数と、そこから抜け出す生き方に進める人間が出てきます。
私たちは、色々な物を抱えて生きてゆかなければならない。
私はまだ、瑛人くんのように「もーいーべ」とすべてを許すことは出来ません。
だからこそ、世の中には多くの悲しみがあるということを常に憂いて生きてゆくことが出来る。
この「官に在りては民を憂い、野に在っては君を憂う」という生き方は、伝統的な中国思想における士大夫の在り方とされています。
自らと家の安寧だけを望んで生きていれば心が卑しくなる。
我々いないことになっている子供たちの末は、自己愛を離れ、大きなところを見て生きてゆかねば容易く俗悪の中に飲まれる。