ささやかな私事をご披露いたします。
昨年百円ショップで購入した、十万円たまる貯金箱がもうパンパンになったので中身を数えてみました。
おおむね十二万円台後半の金額となりました。
もしかしたら以前にも少し触れたかもしれませんが、私が小銭貯金を始めたのは、当時乗っていたアメリカンのバイクに必要な車検料金のためです。
気づいたときに小銭を貯金箱に入れておけば、二年に一度の車検の時には必要な額が貯まっているので、平素の必要な貯金の額からは切り離しておけます。
そこから発展して、そろそろ良い歳なので少しは人間らしく見える服装を調達する基金として活用するようになりました。
月に一度、一万円から二万円くらいのお金を衣類に掛けるのです。
平素身に着ける物など全身ワークマンかマルエツさんで充分なのですが、ちょっときちんとしたほうがいい折に着る物、いわば必ずしも自分の好みによるわけではない衣類をそれで調達する訳です。
もし私が一万円や二万円でTシャツを買おうと思ったら、恐らく五着以上は購入することでしょう。
しかし、この企画の時はそうではありません。
一枚でそれだけの額がする物を買う。
D&Gとロゴが入ってるだけの白Tを二万円も出して買うのは非常にあほらしいので自分の判断では絶対にしません。
しかし、付き合っている女性のシャツを脱がした時に胸にもおしりにもD&Gのロゴが見えると、ある種の緊張があるのも事実。
それはもちろん、雑に引きはがしてその辺にほっぽらかさないようにしないと、という緊張でもあるのですが、同時にエレガントな性の在り方という物を感じている部分もある訳です。
それと同様に、私もまたある種の状況下においては一定レベルのきちんとした服装をした方がより良いということがあるのではないか、ということです。
普段なら、靴下だパンツだなんて使えりゃいいから100均で充分。
ただ、まぁそうではない時もある、ということでしょう。
この考えから逆に、遊びの時に着るスーツを買うということもしました。
十万円くらい貯めて遊びの時に着倒してぐじゃぐじゃにしてもよいというスーツを調達したのです。
初めから踊りに行って動き回って汗かいて使い倒すつもりで支度したものなので、まったく気兼ねなく遊びに使えます。
これがちゃんとした時のために用意した物だったらそうはいきません。
つまりは、選択肢とそこからくる自由の幅を私は贖っていたということなのでしょう。
その元手は、お釣りにもらった五百円玉や財布の中の千円札。
一気に口座からまとまった額を卸している訳ではありません。
ただ、時間のマジックがかかっている。
日々の隙間にある小銭の蓄積です。
私はタバコも酒もギャンブルもしないので、他の人からすればそういったところに回って消えているお金がここに当たっているということなのでしょう。
こういう貯金はやがて、定期的に海外に修行に行くための資金にもなりました。
人生を小銭の蓄積で買ったといっても良い気がします。
先ごろ、FIREを達成したというアメリカ人のお笑い芸人さんのお話を聴きました。
私はFIREだなんだということに目が血走っているような薄っぺらな意識高い系みたいな人たちは好きじゃないしそれ自体にも関心はないのですが、彼のお話には非常に共感するところがありました。
それは、幸せになるために自分がそうしたいと思ったことに対する姿勢です。
彼は自分のことをケチだと自称しているのですが、それは本当に無理をして貯金をしているとかそういうことではなく、自分のしたいことと世の中をよく理解しているということに過ぎないのではないかと思われます。
当たり前にちゃんと安定して値が上がる投資をしていれば、大化けはしないけど時間が経つだけちゃんと利が増える。
それだけだというんですよね。
それを、大博打で危険な投資につぎ込んだり、仮想通貨で頭を使わないで儲けようという射幸心に囚われただけの人達が沢山いる。
そういう宝くじみたいなことは自分の頭を使って現実を観ていないということでしょう。
宝くじに関して彼は、古い諺だとして「バカの税金」だと言っていました。
バカであることによって定期的に奪われてゆく税金。
これは単にお金に限らず、時間や選択肢、労力や自由などが含まれるのではないでしょうか。
バカで居るというのはあまり幸せではなさそうです。
お金が貯まらない人が、なぜたまらないのかということに関して、彼が言っていた言葉もそこに通じます。
それは、いまの生活に満足していれば余剰にお金を使う必要がない、という言葉です。
自分が納得して満足して幸せでいられる暮らしをまず作っておけば、ちょっと稼ぎが増えたからと言って無理に車を買ったりブランド物を買ったりしてローンを組む必要なんてない。
ということはつまり、初めから自分と世の中をよく見てその距離の在り方を計測し、どうすれば居心地よく暮らせるかを考えておけばよい、ということでしょう。
これ、知足という老荘(タオ)やブッダの考え方です。
自分を幸福にするには自分と世界を知る。
そうして幸せに暮らせれば、その時間の中で幸せはより大きくなってゆく。
そういうことだと思いますよ。