以前に、気功で養った物はエゴではない別の生命のような感じがあるということを書きました。
このエゴでは無い物を如何に扱い、養って強くして行くかというところが中国武術では重要であったりします。
そのための行を内功と言ったりします。
日本武術ではこの部分を禅からの引用で明鏡止水と称したりするようです。
フィリピン武術にもこの要素があります。
この二者にある共通点は、兵器の力に由来していて比較的力を使わないというところでしょう。
もし、攻撃力や防御力をフィジカルなパワーに求めるのだとすればどうしても明鏡止水では済まないところがあります。
能動的な部分が必要になる。
その差を埋めるのが中国武術における内功で、エゴとは離れた部分で強い力を獲得することが出来ます。
生まれ持った程度のみにとどまらず、そのエゴでは無い部分を方法論として強く大きくして行ける。
この差が分からないと、中国武術の本当のところは分からない。