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近代アジアの市民史 2・1917晃子ロシア革命

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 フランス革命で貴族支配は打倒され、平民社会が広まりました。

 この時代のことを良く言う人には会ったことがありません。

 ギロチンが活用され、意味や理念はおきざりにただ恐怖と言う感情で政治を執り行う時代だったからです。

 当たり前です。彼等は政治経験のない感情至上主義の貧民だった。

 これと同じことが、第一次大戦下のロシアでも起きます。

 以前書いた通りに、この大一時大戦というのは「いとこ戦争」とも言われて同じ血族のいとこ同士の間でもめ事が広がって西洋社会の人口が一割も減ったという物です。

 この酷い大戦の一角を担っていたロシアの皇帝家というのは、日本人には極めて誤解されている物かもしれません。

 まだ若い頃、思い切り髪を短くして角刈りのようになったことがありました。

 それをして「ロシアの国境警備隊員のようになってしまった」と言ったところ、女友達が「全然ロシア人みたいじゃないよ」と言いました。

 彼女にとってはロシア人と言うのは、コーカソイドの印象だったようなのですね。

 思わず「バカか!」と言ってしまいました。

 彼女の出自がアイヌ民族であったからです。

 このように、自分のことも歴史のことも知らないというのは、現実に自分が生きている世界のことを何も知らないということです。

 アイヌ民族は、現在の研究では北方の現在のロシアから北海道に渡ってきたのではないかと言われています。

 これらの民族の人たちは、原日本人に遺伝子的に近いと言われているモンゴロイドです。

 そして、ロシアの人たちと言うのは西側のウクライナに近い場所の人たちを除いてほとんどが黄色人種だと言います。

 これは、ロシア皇帝家というのがそもそも西洋社会では下等白人と見なされていた身分の低い人たちであった物の、アジアの未開の地でならボス面が出来るであろうとやってきた人たちで、その結果200にも及ぶ民族を統治し、最大時には地上面積において世界最大の帝国を築いた人たちだからだそうです。

 つまり、ここから分かることは二つあります。

 一つは、極寒であった後のロシア帝国の地と言うのは未開の領域であったということ。

 そしてもう一つは、それを白人種が文明化するという視点において、圧倒的な白人優位主義の及んだ土地であったということです。

 現在にまで続く、白人優位主義を根付かせた非常に重要な歴史がロシアの大地に根差している。

 このロシア、第一次大戦後半の1917年には、食糧不足の危機を迎えます。

 そもがそのような由来の土地であり、2パーセントの貴族が98パーセントの小作人、農奴を支配していた国だったので、こうなってしまえば必然反感が高まります。

 その結果、ロシア革命が起きて皇族は皆殺しの結末を迎えるのですが、問題はそこに変わったソビエト議会です。

 彼らの出自は、小作人や農奴、つまり教育さえ受けていないレベルの人々です。

 よって、政治のやり方などまったく分からない。

 もともとその日に食べるジャガイモを手に入れたくて貴族たちを抹殺した人たちです。その先のことなど考えてもいないし考えられる訳もない。

 つまりは、西洋社会が教養主義やロマン主義といった「てにをは」を踏んで革命の季節を迎えたのに対して、中間層である市民階級が存在しないまま革命が起きてしまった。

 そうなるとどうなるか。

 当然、自分のことしか考えない感情だけの権力体制となります。

 ジャコバンと同じことが起きてるんですよ。

 そしてそれは、やはり日本社会と変わらないように見られます。

 ソ連は冷戦までこのままの時代を送ることになります。

 

                                                                   つづく

 

 

 

 


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