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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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身体文化から観たウクライナ、ロシアの歴史 1・スラヴ民族

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 前に、ウクライナ人の友人が「ウクライナ人には日本の侍魂と同じ、コサック魂がある」と不撓不屈の闘士をプレスに表明したと言うことを書きました。

 コサックと言うと「坂の上の雲」で描かれる日露戦争での勇猛さが思い起こされます。

 旅順での激戦に描かれるコサックについて調べると、彼等はザバイカル・コサック、またはバイカル・コサックと呼ばれていて、バイカル湖の周辺に居た豪傑騎兵隊だったとあります。

 このバイカル・コサックの構成は、ウクライナ人、ロシア人と言ったシベリア・コサックと呼ばれる人々と、モンゴル、中華系のブリヤート人、エヴェンキ人と呼ばれる人々からなっていたとウィキペディアには書かれています。

 以前から私は、ロシア人の内でいわゆる白人種はウクライナ側の人達だけで、東側は当然アジアの土着民族である黄色人種だということを書いてきています。

 ここに今回の闘争において、マスコミではほとんど語られない背景を私は見ています。

 それはまさに、アジアの身体文化と言う視点からの物であり、現状の世界情勢においてほぼまったく有効な手立てに繋がる物ではありません。

 なので報道からは当然置いてけぼりにされる視点なのですが、しかし同時にこれは忘れてはいけない現実を日の下に明らかにする話題でもあります。

 ですのでこの、自分の立場から書かせていただきます。

 

 まず、そもそもとして、以前に書いた「ロシア人は劣等白人種扱いをされていた人達」ということを補完しましょう。

 これは西欧社会の発言で、より正確に言うと「スラヴ人は」と置き換えるべきです。

 と言うのも、もともとウクライナの辺りに居た白色人種が、西洋社会、もっと言うならゲルマン民族が初めて見たスラヴ人でした。

 彼らは奴隷として捕獲されて連れ帰られました。

 スラヴの語源は英語で言うスレイヴ、奴隷と言う意味だと言います。

 彼らが劣等白人扱いされていたというのはこのことを指しているのでしょう。

 そんなスラヴがアジアでならえらい顔が出来るのではないかということで東側に侵略を進めてロシア帝国を作ったということですが、これもまた、西側からの搾取が強かったからという背景が想像できます。

 こうして広大な領土を擁することになった帝政ロシアですが、いまに至るまで東側の土地は作物の収穫が難しい荒野が多いと言います。

 そのせいもあって、2パーセントの貴族を98パーセントの農奴が養うという状態が続いたと言います。

 貴族と言うのはもちろん、皇帝の血縁者と言う処が始まりですから、白人種でしょう。

 ロシアでは貴族に成りあがったスラヴがアジア系の小作人を搾取して暮らしていたのです。

 この台所事情は19世紀、20世紀初頭まで西洋社会では知られていた物らしく、皇帝だ貴族だ言っても彼らは欧州では笑いものでした。

 当時書かれたパルプ小説のターザンやルパンを読んでも、ロシア男子と言うのは姑息で卑怯なスパイとして描かれており、ロシア女性と言うのは美しいが幸の薄そうな顔をした、娼婦やコソ泥となっています。

 要するに、貧相に見えていた、ということなのでしょう。

 ロシアではバレエが盛んだと言うのも、娼婦の大量生産地というイメージにも繋がります。

 このように、ロシアと言えばスパイ、泥棒、娼婦、飢えた農奴という印象が描かれます。

 ロシアは綺麗で豊かでいいところだなあ、という描写には出会ったことが無い。

 これはまぁ、当時ロシア側で掛かれた文学を見ても同様の印象を持つところなので、おそらくはかなりのところ真実なのでしょう。

 

 

                                                                     つづく


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