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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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師父、ニュー・タイプについて考える 5

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 カミーユ・ビダン君は螺髪が無いがために自己の認識能力が感受した情報を受け止め切れずに破滅してしまいましたが、仏教ならざる気功ではその問題に対して別のアプローチをしています。

 気には中丹田、壇中穴の法輪に宿るという広義の気、そして下丹田、丹田から命門という場所に宿る精という物があります。

 眉間の神と合わせて、気の三態とされています。

 この、下に宿っている精というのは液体状の陰の要素の強い気で、これが神と対を成します。

 対を成して陰陽関係となるので、精神という言葉があります。

 つまり、この精の気が強ければ、カミーユ君は偏差を起こして破滅をしなかったかもしれません。

 ではこの精とは何かというと、セックスの気です。

 ヨガではシヴァ神がカーリー女神とセックスで繋がり、シャクティと呼ばれるこのセックス・エネルギーを得ることでそこから思考能力を高めて悟りに至るとされます。 

 それの漢語訳がこの精ですね。

 カミーユは物語の冒頭で「女の名前」だと馬鹿にされて怒るという姿が描かれます。

 ここで彼が単一にして陰陽合一をした半陽陰のバランスを持った超人足りえる可能性と、女の要素を否定して怒り狂って暴力と言う陽剛な行動に出てしまうと言う「偏り」のどちらともとれる姿を読み取れます。

 作中、彼は一対となれる彼と近い能力を持った女性(シャクティ)と結ばれかけてそれを失うというエピソードがあります。

 これは単に悲恋の物語では無くて、彼が性の力を得られずに枯渇して破滅するという未来に向かう分岐点であったと解釈が出来ます。

 こういうことがヨガや気功では真剣に世界観として考えられているために、我々行者はセックスの行を重要視します。

 現在はお稲荷様として祀られているお狐様は、ダーキニーと言って元々セックス・ヨガによって性的エネルギーを養う信仰の対象であった女神です。

 気功ではそのような修行のことを房中術と言って非常に重視しています。

 居るのですが、どうやらこれ、全般的にはあまり認知をされていないようです。

 おそらくは多くの現代気功やヨガではこの最も根本の重要な要素が失われてしまっているようです。

 修行の効果がほとんどないならそれでよいのですが、もし房中術で精を補充しないまま修行を行い、うっかり何がしかの偶然で能力が活性化してしまったら、カミーユ君と同じくエネルギー切れで偏差を起こすことになります。

 

                                                                   つづく


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