あくまで人間も物質とエネルギーの結果、世界の全ては物質とエネルギーである、とする老荘思想においては、ある種の懐古主義が伴います。
まぁこれは、ギリシャ哲学、儒教と必ず古代哲学につきものなので当たり前かもしれません。
とはいえ、これだけ現代人からすると異常と取れる老荘にしてはこの辺りちょっと普通な感じなので驚かないでもありません。
老荘から派生した気功の世界では、元神と識神という概念があります。
元神というのは、生まれた時から備わっている本能的な認識能力、識神というのは後天的に学んだ物のことです。
つまり、動物としての本能と人間としての学習したことだと言ってよいでしょう。
人間、当然ですが長く生きれば生きるほど後者が蓄積されてゆきます。
その情報過多を老荘では危険視していて、元神に帰れということを説いています。
つまり、後天的に頭で考えたことを優位として人間の頭の中で作った社会の形を理想とする儒教への嫌がらせ、いや、アンチテーゼです。
そんな人間社会なんかよりも、人間は生物としてずっとこれまで生きてこれたんだからその生き方を尊重してそこから学べばもっともよい自由な生き方が出来る、と老荘では見なすわけですね。
そのために気功をして存在を陰、つまり引き算の方に調整して自浄します。これを還元と言う。
濃縮還元100パーセントジュースなんていう、あの還元ですね。フィード・バックの訳語として当てられている言葉です。
そのような生き方をかなえた理想の状態を、老荘では「無為自然」と言います。
無為、無意味、意図的なところが無い。自然のままの生き方だ、と。
このことを老子は「世の中には沢山学者がいてあーだこーだと頭で考えて口を動かしているが、そんなことより自分は女の人のおっぱいを吸うね。そちらの方がよほど世界の真実について理解ができる」などと言っています。
これはすなわち、女性の乳房と言う物が生命を養ってきた始原の要素だからです。
さらに老子はこのように説いています。
「谷神不死 是曰玄牝門 玄牝之門 是謂天地根 綿綿若在 用之不勤」
谷の神は尽きることがない。
これを玄牝門と言う。
これは天地の根っこである。
めんめんとつづいて、とどまることが無い。(意訳)
谷の神というのはこれ、女性を意味していると言います。
山に対する谷、山が凸で陽、男性であり、谷は凹なので陰を意味しています。
陽に関しては老荘では「勢あるは尽きる」として陽な物はやがて力尽きて滅びるとしています。
対して谷、陰は尽きることがないとここでは言っている訳です。
では、神とはなんでしょう。
これ、上に書いたように元神、識神で言うならば陽であるのは識の神であり、いつもの儒教のポジティブ・シンキングへのアンチテーゼだと言えるのですが、それだけではないのです。
それが次の一説です。
不死である谷神のことをこれを玄牝門と言うと書いています。
玄とは黒い、という意味で、陰陽説では陰をあらわし、五行説では玄武と言ったように水を象徴しています。
あの玄武、もとは玄武帝という亀を伴った神将だったと言いますが、時代に連れて本体の神将が消えて亀と蛇だけになってしまいました。
なぜでしょうか?
これは私の見解ですが、亀の頭や蛇身が男性器に似ているからでしょう。
そして亀というのはその男性器のような物が、甲羅の中を「出たり入ったり」します。
つまり、ここで書かれているのは性的な生命の根源についてなのですね。
だから、玄の後には牝門と続く。
役によっては、玄牝門と一つの単語として水の流れる牝の門の意だとしたりします。
いずれ同じですね。つまり、不死を司る谷の神というのは水の溢れる牝の門だと言うのです。女性器です。
天地の全てはここから生まれているのだ、ということを言い、またこの陰が生命を生み出すという力は「尽きることがない」としている。
老荘思想は陰陽思想であり、陰と陽は二つで一つ、同等です。
一方、同じ時代に儒教の孔子様が言ったとされる有名な言葉は「女人と小人養い難し」。
もちろん、この言葉にも解釈の幅があるのだということは以前に書いてきました。
しかし現実として、当時の社会を政治によって発展させることを目的としていた孔子様の哲学においては、その頃社会的な立場が低かった女性など眼中になかった。
陰などには目もくれない。
だから諸子百家のあまたの思想家が儒教的思想に基づいて色々な学説を提唱しても、老荘は「そんなことよりおっぱいが真実」「女性器が真理」と嘯いていた訳です。
これが、私が常々性神信仰に関する記事を書いている理由です。
自然科学的な見解をする老荘においては、すべての生命はその生命を存続するためにあらゆる機能が備わった。
鳥が飛ぶのも魚が泳ぐのも、すべては生命を繋げるために進化した結果の機能です。
すべての生物のあらゆる機能は繁殖機能を中心にそれを守る形で発展したものです。
非常に現代的な「遺伝子の箱舟理論」に似たお話ですが、古くから中国ではこの考えは老荘から発して普及しています。
ですから我々は、気功の行として性の力を取り扱う房中術というカテゴリーの物を行って性的な力を高めることを基底としている訳です。
ただ、この性神信仰の文化や陰陽思想そのものは、実は中国で発生したのではなくインドから伝わった物だとも言います。
お釈迦様が修行をしていたヴェーダ教やバラモン教のヨガの思想にすでにあったものらしいのですね。
それが中国に伝わって道家思想に取り込まれて行った可能性が高いのですが、中国側では逆転していて、老子が隠棲の場を求めて西に旅していった結果インドにたどり着いて釈迦になったのだ、という「老釈説」という思想さえあります。
そのくらいに、信仰になるまえの原初の仏教と老荘思想は近しい物が元々あったのだ、ということでしょう。
さて、中国仏教の土台となった「三教」のうち、二つまではこのように非常に似通っています。
が、儒教はどうも老荘側からずいぶん批判をされている。
ここが老荘の一筋縄ではいかないところで、なにせそもが陰陽思想と言うくらいなので、元々広まっている儒教に意図的にカウンターを当てることで全体のバランスを取ろうとあえてスクリュー・ボールを投げつけていたということが考えられています。
もともと、陰と陽のバランスを取る陰陽相斉というのが老荘の理想なので、自然陽に傾いてゆく人間の営みの中で、あえて強めに陰を主張して鎮火を狙っていたらしい。
そう。この、陰陽の調和を取るというのが老荘思想の目的なのです。
このことを中国では「中庸を取る」もしくは「中和」と言います。
我々もよく聞く言葉ですね。
老荘主義者は人間社会をそうすることが目的でした。
そしてこの中庸、および中和、実は言葉として書き表したのは儒教の側の漢籍になります。
どころか、そこでは中和というのは仏教でいうならば「悟り」の状態。修行のなった聖人の在り方として書かれています。
なぜなのでしょうか。
一言で言うなら、時代が経つにつれて儒教が老荘に寄って行った、ということなのですが、それを次回にお書きしましょう。
つづく