おそらく、この国においてもっとも陰陽思想に触れている業種の人は、東洋医療関係の人たちではないでしょうか。
元は神主さんや宮司さんたちが「陰陽博士」「天文博士」として陰陽思想を専らとする職業の人たちだったのでしょうが、恐らくは国学と平田篤胤の古神道の隆盛あたりから陰陽道の考えはだいぶ薄れていったのではないかという気がします。
対して本朝における東洋医学に関しては、近代化以後から国家資格として認定されて研究がさらに進められて行ったことから、その漸進性とそれに伴う人口の増加は間違いのないことであるとも思います。
私自身、伝統思想とその身体哲学の研究と言う自分のライフワークを追求するために、鍼灸の専門学校に通うことにしたのですが、ここでまたこれまでは見えていなかった物の中に踏み込むこととなりました。
というのも、これまで私が追求していた文脈と言うのはインドから始まり、中華において昇華をした物だったのですが、実はその後、その思想の運搬をしていたいわば箱舟であった仏教から離れて、日本において独自進化をしていたからです。
私はインドに行かなかったのは、すでに現地では仏教の痕跡がだいぶ薄れていると聴いたからです。
逆にタイに本拠地をと考えたのは、唯一、仏教国として他国の侵入を避け続けてきて歴史的に古伝を保持し続けているからです。
日本と言う国は仏教国としての素養を持ちながらも同時にそれらがほぼ形式的となり、無意識下の物となっていったという不思議な風俗を持っています。
鍼灸に関しては、完全に仏教を離れて江戸時代にまったく新しい物にアップデートされていました。
杉山和一という検校さんによって、杉山新進流という流派が興されて、これが現代に至るまでの日本鍼術の基本となっています。
特徴としては、一つには管鍼というまったく新しい用具への改革を起こしたことがあります。
これによって、具体的な施術法がまったく変わりました。
そしてもう一つは、この方、検校さんと書きましたが盲人の方なんですね。
江戸時代の日本の識字率は世界でもトップだったと言いますが、これでは物理的な意味で経典を読むということが出来ません。
つまり、決定的な身体哲学としての仏教との乖離が定まったと言えるでしょう。
さらに言うなら、そもが日本の仏教は身体性との乖離が初期から行われていました。
瑜伽行と言われた仏教の基本となるヨガとは距離が置かれ、中華で盛んとなった陰陽五行思想とも分かれ、日本独自の物となっています。
ですので、中国における仏教のように医療や農耕、治水を行うような具体的な救世のためのリベラル・アーツではなくなっています。
もちろん武術も失伝しています。あるいは最初から伝わっていない。
近年になって、兼好法師の記述で有名な仁和寺の蔵書から、医療の経典が見つかったというニュースを本で読みました。
古典の素問だったかの写本で、おそらくは遣唐使あたりが持ってきた物だったのでしょう。
これがずっとほったらかしになっていた物を、いまごろになって医学書だと気が付いた、ということです。
このように、当時の中国では仏教の具体的な手法として身体哲学が行われていたのですが、日本では21世紀になるまでほったらかすくらいそれらの具体に関しての冷遇があるようです。
と、行った次第で、恐らくはかなり早い段階で仏教から切り離されたであろう鍼法においてさらに、江戸時代に完全な分断が確定したと考えて良いかと思われます。
同様にして伝わった本草が日本において漢方と言われるようになり、さらには和漢という物に変化したのも同様の経緯があったのでしょう。
このような流れの上で日本における陰陽五行説が広まっているので、必然、本来の「思想」とは乖離しているな、というのが私の感想です。
あくまでも施術という目的のための実用的な物となっています。
ですので、思想としての体系の根本や広がりはスポイルされて、あくまでも便宜上の整理をされた形式として固定化しています。
哲学ではありません。
そしてそのことは、このような形式主義、実用主義を否定する本来のタオの思想とは非常に折り合いが悪い。
特に、現代の日本鍼灸業界における陰陽五行思想というのは、国家試験の出題に準拠した物として再編集がされており、言葉や考えかた、分類などが後付けでだいぶん改変されているようです。
実際に、過去問に照らし合わせてみると〇〇年度まではこう考えられていたけどいまはこういう考え方に変えている、というようなことも複数回体験しています。
これはね、当然古典の根本的なタオや陰陽五行説とは大幅に乖離した物となります。
当たり前ですが、生徒は卒業後には生業を得てそれで飯を食っていこうという目的でやってきています。
先生方はその目標のためにものすごく実用的な完成されたカリキュラムを組んでくださっていて、恐ろしく良い環境で私たちに指導をしてくださっています。
これは、ちゃんと先生の言うことを聞いて着いてゆけばきちんと国試に受かるであろうことは間違いありません。
まさに合格請負人と言ったところです。。
そんな中に、私のように文化を学びに来たというような茫洋とした者は他にはいないことでしょう。
入学後のガイダンスでも、私のこれまでの仕事と将来のヴィジョンを話したところ「箔を付けにきたの?」と言われてしまったくらいです。
学問そのものが目的だなどという薄らボンヤリはそりゃあ中々いないことでしょう。
卒業後も、ここで学んだことを土台に、国試で獲得した資格を持って人に鍼を刺して東洋の身体哲学の研究をしてゆきます。
タイに行った時もそうですが、セラピストでもないしセラピストになれるという気持ちがある訳でもない……。
あくまで私の自己認識は文化継承者であり、研究者です。
卒業後はさらに、老師から教わっている気功の段階を進めて、気功療法を教えていただくつもりでいます。
老師が仰るには、それなら外気功だから鍼はやらなくて良かったのに、ということのようですが、ツボの名前も分からん、基本的な経脈の流中も分からない、では伝統気功療法を得るにはあまりにも力不足でしょう。
一定基礎教養を積み、実証のためには鍼も打てると言った程度の基礎能力は欲しいところです。
私が一生このアジアの身体哲学を学び続けて、その中で生きて行く上でこの鍼灸学校での生活は必要不可欠なように思っています。
いまの毎日は、忙しいですが日々勉強で楽しくてしかたがありません。
私にとっての理想のホグワーツに通っている日々となっています。