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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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還俗僧の話

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 先日、ツイッターである還俗僧の方の呟きが流れてまいりました。

 私なりに要約いたしますと

①日本人にはなぜかそれが良いことであるように無宗教であると主張する人たちが多い。

②そういう人で「何物でもない中年」の人は、カルトにかかれば一発で洗脳されてしまう。

③その手の人たちは「素人」だが相手は洗脳のプロなので勝てるわけがない。こういう人たちがカモになる。

 ということでした。

 非常に面白い意見だと思いました。

 まず一つ目ですが、これ、私も非常に思い当たるところがあります。

 なぜか「無宗教」と言う言葉を発する時に、下手をすると居丈高になっている人さえまま目にします。

 理由は分からないのですが、神を信じている人を下に見て優越的な態度を誇っているような印象がある。

 しかし実際はその謎の優越感は、③に繋がります。

 例えばニーチェ君のように、積極的に「神は死んだ!」とかいうタイプの無神論と言う、一定掘り下げて突き詰めた人ならともかく、居丈高に「無宗教なんで!」というような人たちは、ノーガードなんですよ。

 これはたんに思考停止しているだけなんで、知的水準、教養においてそのベクトルでのレベルが非常に低い。

 それはもう、裸の子供もいいところです。

 何も持っていないし、何も学んでいない。

 この要素が②の所な訳です。

 ただ宗教方面に関してだけ素人であるだけならそれほど広範囲的に問題は大きくないのでしょうが、何物でもない存在であるということは多くの人にとっては決してそうではないようです。

 またニーチェ君になってしまいますが、どれだけ従順で善良な人間の中にも「力への意思」と言う物があると言います。

 これはなにがしかの力ある何者かになりたい、という欲求のことでしょう。

 そのために人はクラスでテストの順位を上げようとしたり、仲間内でのマウントを取ったり、社内での評価を上げようとしたりするのでしょう。

 そして良い学校に入ったりママ友の中でのボスになったり社長になったりするのでしょうが、それでもこの欲求が解消するということは恐らくないでしょう。

 その理由が分からないまま、本人も永久に迷走し続ける。

 これは、どれだけ己の行いの因果に寄って立場が変わっても本当に心が満たされることは無いという、六道輪廻の思想に重なります。

 常に飢えている餓鬼道、人と争い続ける修羅道、獣のように生きるしかない畜生道、苦しみ続ける地獄道、不安定な人界、幸せにあるようだが後は落ちるしかなく不安を切り離せない天上界と、この六つの環境を巡り続けるしかない。

 ではなぜこのようなことになるのかと言うと、己が何者であるかを己で得ていないからではないでしょうか。

 先生に評価されたり友達に評価されたり会社に査定されるというのは、みんな他者からの評価です。

 つまりは、他人の価値観に隷属して裁いてもらっている立場でしかない。

 要するに、洗脳された人間の行動です。

 現代社会に生まれ育った段階で、みな社会通念と言う洗脳をされています。

 そこに疑いを持ち、自ら考えて自分が本当は何になりたいのか、どうしたいのかを自覚してそちらの方向に向かって自分が選んだ者になるほか、この洗脳から逃れるすべはないのではないでしょうか。

 そういう知能を働かせるには、身の回りを取り囲む社会通念とは別の一貫した思想体系が必要になります。

 相対化です。

 そのために、宗教は役立ちますよね?

 もちろん、宗教ではなく哲学でもアカデミズムでもよいのですが、宗教であっても問題はない。

 ですので例えば、仏教でもキリスト教でも持っているその教義にある倫理を持って現行の社会で起きている物を裁定して判断する基準を持つということは人格の確立において極めて重要だと思われます。

 現在、この国でも絵にかいたような大きな洗脳が進行しています。

 前の記事でも書いた、元首相殺害事件に対して「民主主義への挑戦だ」という物です。

 現在、容疑者の男性の数年前からのSNSアカウントが発見されており、そこでは被害者の政治的主張にもその所属党派にもなんの反対意見を持っていないということが書き連ねてあります。

 にも拘わらず、初動からマスコミは「民主主義への挑戦」だと口をそろえ、被害者の所属党派は「我々は暴力には屈しない、遺志を継いでゆく」と謳い、あまつさえ「国葬を行う」とまで言い始めています。

 容疑者の人はかなり頭の良い人ですから、初めからこうなることを想定して何年も前からそのような記述を残していたのかもしれません。

 彼の矛先が向かっていたのはあくまでカルト宗教の利権に向かってであり、被害者の政治思想に対してではないということが現状一貫して目にすることが出来る状況証拠です。

 もちろん状況証拠にすぎませんが、それ以上の何が判断できましょうか。

 少なくとも、彼が特定の政治方針や政治結社を攻撃して、暴力でそれを阻害しようとしたというような証拠なんてなにもないのですよ。

 にもかかわらず、政党もマスコミも思考停止して民主主義への敵対者だと決めつけ、政治利用への力が働いている。

 これが洗脳でなくてなんだと言うのでしょう。

 私がこの国の政権が戦後ずっと愚民化政策を敷いて国民を大衆化してきたと言い続けているのはこういうことです。

 大衆とは、甘やかされたぼっちゃんである。というのが大衆と言う言葉を掲げたオルテガ・イ・ガルデスの見立てです。

 甘やかされて何一つ現実を生きていない、何者でもない人々、これがカモでなくてなんだと言うのでしょう。

 国が育てた大量のカモを、政権がいただき、さらにはカルトがいただく。

 政権とカルトが団子になってさらにうまうまと吸い上げられ続ける環境を築いてきた。

 こういう国に対して私はずっと「自己の確立が必要だ」と言い続けてきました。

 何者でもないことによってコンプレックスをこじらせ、そのためにより脂ののったカモになる人々には、きちんとした自覚を基に、自分の望んだ何者かになるというのは有効な生き方なのではないでしょうか。

 ネットを見回せば、あらゆるところに何物でもない素人であることの優越性を振り回したカモたちの姿が大挙して見られます。

 なんという危うい国なのでしょう。

 フォアグラが収穫がしほうだいではないですか。


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