ウクライナ侵攻の問題を見続けて来て、資本主義社会の欺瞞を心に刻み付けられ続けてきました。
マクロで見た世界情勢のバランスのためには、どうしても一定の人々の悲惨な環境が必要になる。
それが植民地主義から続く、階層を基にした資本主義の現実です。
先日、あるブルースを聴きました。
その歌詞では、以前にこちらでも扱った綿花の問題が取り上げられていました。
アメリカの量販店で売られているTシャツに使われている綿の多くは、現在はヨルダンで作られている物が多いそうです。
その労働者の日給は、およそ2ドル。
そうして作られたTシャツが、量販店に届いてやがて値引きシールが貼られて5ドルばかりで売られる。
それを貧困層の人々が買っている。
現在西海岸と東海岸では、最低時給が1700円になったそうです。
いまのレートだと二千円くらいですね。
日本の倍くらいです。
それでもアメリカではインフレが激化しており、引き続き多くの人達が高すぎる家賃が払えなくてホームレス化しています。
引き続きと書いたのは、この若い労働者がホームレスになると言う現象は、もう十年以上も続いているからです。
ベテラン教師が退職後ホームレスになると言う映画がアカデミーに選出されたことも以前に書きましたね。
彼らのような住所不定の労働者のことを「ノマド」と言います。
それでも彼等には仕事があります。
それさえ失う可能性がある。
そういった環境を救ったのがギグワークと言う社会現象でした。
この働き方は世界中に広まり、私たちの国でも町中でギグワーカーを見ない日はありません。
私たちの大好きなアマゾンの配送でも、彼らが行っていることは沢山あります。
世界で最も失業率の高い国である南アフリカでも、現在彼らが沢山働いているそうなのですが、治安が非常に悪いために路上強盗の的にされることが大変に多く、社会問題となっているそうです。
なんでも現地では、治安の悪い危険地帯に配達をするとインセンティブがもらえるのだそうで、命懸けでドライバーは仕事をしていると言います。
すべてが連鎖しています。
別の国の誰かの生活のために、他の国の人がより苦しい生活をする。
国家間のレートという物が階層として機能しているからです。
私自身、この国の失われた三十年という時代を生きてきました。
その中で、どうにか死ぬことも自死することも精神を損なうこともなくかつ定職を得ることもなく生きてこれました。
あるいは、定職にしがみつこうと言う既成概念が無かったからこそやってこれたのかもしれません。
そうして生きながら、自分のしたいことをするためにわずかなカスリを貯めて海外で修行をしてきました。
その成果が私の財産なのですが、これも国家間のレートによってなりたっている成果です。
自分自身が世界中を覆うこのシステムによって圧迫され、かつそれを理解してここまでやってきました。
ですので、ロシアの侵攻に関して倫理的な面から否定をすることが出来ません。
私も既得権益者の一人でもあるからです。
そのことに絶望し、もう天に任せて何もしないほうが良いのではないのかと思うようにもなりました。
しかし、それでもやはり、このシステムを変えるために動いていかないといけないと思い始めています。
強者が自分たちの行いを省みて改めることから始めないと、弱者の環境は改善されない。
だから私たち、搾取性の強い環境にある人間が関心を持って取り組んでゆかないと。
これは善ではありません。
善だと言うなら偽善です。
そういうことを言って冷笑する人も多いでしょう。
そのような他人の言葉などどうでもよい。
偽善でも無力でも、現実を直視して出来ることをやる。
それ以外に、自分の納得できる生き方が思いつかない。