日ごろ、黄禍の進撃に晒されたカトリックから白人優位主義が生まれたことや、その腐敗を否定する形でプロテスタントが現れて植民地主義で世界中を資本主義化していったことなんかをここで書いていますが、本日はなぜ武術家である私がそのようなことを書き続けているのかをあらためて書いてみたいと思います。
私は仏教圏に伝わる身体観と、その文化圏に大航海時代の海賊たちが訪れてもたらしたアジア武術への影響について研究をしています。
ざっくり言うと、インドから伝わった身体文化、哲学が中国に伝わって気功や武術になり、これが定期的に侵略してくる騎馬民族たちの文化と融合していくという文化ルートが一つあります。
もう一つのルートでは、代表的な「黄禍」である彼等騎馬民族が、ローマ帝国の力を削ぎ、ヨーロッパを侵略して行ったことで中央アジア以西の情勢を崩していったという部分があります。
この後者の力のルートでは、ローマ帝国が騎馬民族によってボコボコにされて西欧における支配力が弱まった結果、中央アジアでオスマン帝国が力を付けてゆくという影響が生まれました。
このため、オスマン帝国の鼻先を抜けて行く航海ルートの税金が高騰し、経済に非常な影響がでました。
これに反応したのが当時フランスに本拠があったカトリック組織、イエズス会です。
イエズス会と言えば私たち日本人はザビエルでおなじみです。
軍艦で武装して世界侵略に乗り出したキリスト教過激派の荒くれ冒険宣教師と言ったように印象される人も多いかもしれません。
私も時代小説などを読んでそのような印象を持っていました。
しかし、反面、パリ大学を出自とする当時最高の知的エリート集団でもありました。
当時のカトリックと言うのは、西洋最高の最先端科学を司っていたのです。
自らが世界を支配するべく神に選ばれた民であるとの信念を持つ彼等にとっては、神の威光の顕れである自然科学の力を持って未開の蛮地を教化してゆくことは重要な使命でした。
ですが、オスマン帝国が海路を支配してしまった。
となると、新しいルートが必要だということで多くの冒険商人たち、と言う名の海賊たちの廻船によって新たな世界へのルートが求められてゆきました。
結果、見つかったのがマゼランによる世界一周ルートであり、そこで到着したフィリピンでマゼラン自身は現地人と戦闘の結果死亡しています。
この時のフィリピン人戦士、ラプラプとその仲間たち闘争と言うのが、世界史におけるフィリピン武術、エスクリマのデビュー戦だと言われています。
そしてこのフィリピン武術、イスラム武術と中国武術の影響で成立している、という次第です。
フィリピンと言うのはすぐ西にイスラム圏があり、南宋時代から中華圏として華人が住んでいたというのですから納得が行く話です。
ここで冒頭に話したルート1と繋がってきます。
イエズス会が開いたこの海路と海域が次に開拓を求めたのが中華、当時の明国の海域でした。
ここで彼ら明の海禁令を破るべく、周辺の多くの住民と結託して武力行使に出ます。
それが倭寇です。
この一大闘争によって、西洋武術、中国武術、日本武術は混交し、次世代の中華武術へのパラダイム・シフトがおこりました。
ですので、アジアの身体哲学と海賊武術の研究者としての視点から、中国武術の師父でありフィリピン武術のグランド・マスターである私が語ると言うのは極めて必然的な話であると思っています。
と言う訳で、引き続きこのお話を続けてゆきましょう。
つづく