さて、前回は騎馬民族による西欧侵略でローマ帝国の支配力が弱体化し、その結果オスマン帝国が強大化、そして海洋を独占し、これに対策してイエズス会が別の海路を探って世界一周を達成、アジアに到達したというところまでを書きました。
これによって、いくつかの離島の集合であった地域にスペイン王フェリペの名を取って「フィリピン」という命名がされてスペインの領土が生まれます。
それらの土地に土着的に伝わっていた、イスラム武術+中国武術の武術にはさらにスペイン剣術の要素が加わって、エスクリマと呼ばれるようになってゆきます。
このイスラム武術、現在では失伝していてどのような物であったか正確には分からないようなのですが、恐らくは初期イスラム教徒の大半がインド人であり、フィリピン周辺の多くが20世紀に至るまで「インド周辺」と呼ばれたインド文化圏であるため、恐らくはインド武術に中国武術が加わった物であるかと憶測されます。
このようにして、太平洋の島々に拠点を築いたスペイン、ポルトガルを主とするカトリック勢はさらなる領海拡大を求めて明国の海禁令を破戒、日本にまで到達してキリスト教徒鉄砲を伝えました。
それを成し遂げたのがザビエルですね。
これによって日本産の銀は世界中に行き渡り、一見経済的にはこの冒険は大成功であるように思えたのですが、より大きなレイヤーで問題が起きました。
というのは、それまでカトリックが主張していた世界観が疑われるようになってきたというのです。
世界の終わりは滝になっていてそこから先は神の領域だ、とか、東方は野蛮の地で文化などない、あるいは神の楽園が広がっている、などということは嘘だということがばれてしまった。
地球が丸くて繋がっているということは、平面的な方向づけというのは相対的な物であるという証明に繋がっており、神と言う別次元の絶対的な概念とは相反するものとなります。
これによって懐疑主義が盛んになり、それまではキリストの聖骸を祀っているとされて神聖視されていた教会にも冷静な目が向けられます。
カトリック教会が認定したすべての聖骸を合わせると、人間七人から八人分になってしまう。
これは信仰の対象が否定される結果となってしまいます。
このような矛盾への糾弾が強くなり、清教徒、プロテスタントが強くなっていきます。
プロテストとは抗議するという意味ですので、旧来的なカトリックの権威への抗議運動が起きていたということですね。
カトリックの嘘がばれ始めて、それまでキリスト教圏に通底していた世界観が崩れ始めるということは、近代に起きる「神の死」の始まりでした。
大航海時代と言うのは、中世を科学によって終わらせて、近代への道を繋いだ時代だと言われています。
つまり、カトリックの黄昏、プロテスタントの時代の始まりとなる分岐点だったと言って良いのではないでしょうか。
ですので、大航海時代にピークを迎えたスペイン、ポルトガルという大国はこの後、それまでは辺境の弱小国であったイギリスの隆盛に取って代わられてゆきます。
イギリスと言えばアーサー王物語によれば、騎馬民族によってローマ帝国がボコされて弱体化したことによってどさくさ紛れに独立した国ですので、これもまた一連の因果関係が繋がっていると言えます。
このイギリスが大英帝国として隆盛してゆく経緯が、大航海時代の終わりと繋がっています。
カトリックが嘘がばれて力を失ってゆく様を見ていたプロテスタント勢力は、植民地支配においてそれまでのような宗教的抑圧を活用しませんでした。
科学的技術力と法律、契約による権利によって支配をしてゆくのです。
これはもちろん、植民地に対する搾取であるのですが、それまでのような信仰による洗脳と武力による圧政とはだいぶ違います。
仮にだましていたり武力を背景にしてはいても、あくまで契約であり、商業的結束であるという形を取り続けます。
後に、イギリスのプロテスタント後継国であるアメリカが江戸にやってきて黒船の大砲で開国をせまりますが、これがまさにプロテスタントの姿勢、すなわち資本主義による世界支配の姿です。
このやり方でプロテスタント勢力は、次々とカトリックの支配国を乗っ取ってゆきました。
以前にも「世界征服株式会社」として取り上げた東インド会社というのはそういうことをするための組織です。
このルートにおいて、それまでの海路中心主義から陸路を拠点とした物に勢力拡大がシフトしました。
それが大航海時代の終わりです。
そして、海上と言う文化圏において残っていた西洋における中世の終わりです。
この経緯において、現代に繋がる多くの物が広まりました。
一つには、大航海時代の新発見に次ぐ新発見でもたらされた、科学する姿勢です。
この時代に懐疑主義が力を強め、それまでの宗教的世界を終わらせたというのは、人間が現実を観て真実を知り、力を付けてゆくということの面白さに目覚めたというのは、現代に繋がる視点の一つです。
もちろん、キリスト教的抑圧を離れてローマ時代の人文主義を復興させようというルネッサンスはこの流れから出た物でしょう。
一方で、これによって学問の力が強まり、階級主義と知性主義が広がってゆきます。
学問を得た人間が力を得て、知性や教養の低い人たちの鼻面を引き回して奴隷のように扱ってゆくという時代の始まりです。
現在の世界情勢を見ていると、いままさにこの反動が来ていると感じさせられます。
大航海時代の終わり移行、表舞台から隠れていた反知性主義と妄信の側の力が噴出してきている。
すなわち、反知性主義の復讐です。
これを退行と呼ぶのは、私の主観にすぎるかもしれません。
しかし、迷妄に浸って物を考えることをやめ、大声で騒いで他者の話を聞かず、対話する姿勢をまっこうから否定し、実証を避けて盲目的に何かにすがるという人たちが明らかに表面化してきています。
これらの暴力的な人々と、知性を信じる人たちとの間の二極化は著しくなっており、分断はかつてないほどに広がっているように感じられます。
ロシアによるウクライナへの侵攻もまさしく、そのような分断の極端な表面化だと解釈ができます。
一方で、アメリカではこの二極化に危機感を抱く議員らによって第三の、中道派の政党が興ったというニュースも入ってきています。
これからの世界で、さらに混乱が広がるのか、それとも比較的早い段階でなにがしかの秩序の回復が現れ始めるのか、いまはまだ計れるところではないかもしれません。
ただ、この過渡期の混迷の中で、明確に自分の道と現実を見据えて、自己を確立させて生きてゆくことが重要であると信じる次第です。
そのようなことを少しでも多くの人に知ってほしくて、このようなことを日々書きつられています。
今回の記事は、大東文化大学の山口謡司教授の研究を参考に書かせていただきました。