気の思想の元祖と言えば、老子と荘子の老荘思想なのですが、その莊子は刻意篇にて「導引(気功のこと)などをしても長く生きるだけだよ」と説いてます。
さすがは陰陽思想。あらゆるものを相対化するので自らの派についてもそうしてさらに深い認識へと読み手をいざないます。
老師が言われるには、このようにただ身体の健康のことだけをしている物を小気功というそうで、より本質的な物を求める大気功とは区別をされています。
導引から発展して単なる格闘術ではない方向に進化してきた中国武術も、また荘子先生の発言と同じことが言えると思われます。
肉体をより良い物とし、健康になり、強くなり、長生きが出来ても、それだけではまだ足りない。
霊肉一如、霊の部分も肉と同じレベルに成長させることが出来なければ、中国武術の本道を歩んでいるとは言えません。
他の格技と異なって、中国武術には偏差と言う神経症の発症が伴いがちなのはこのためでしょう。
神経や分泌腺の進化を促しながら、そういった刺激を促す物に対応できるだけの人間性や哲学が欠けていれば、肉体に振り回されて頭がおかしくなっても不思議はありません。
人の生き方と世界の在り方という哲学を説いた荘子の意図としては、もちろん「身体だけ良くしても人間性が伴わなければ無意味」だという意見があったのではないでしょうか。
いま、その部分を初めからちゃんと説明して教えている武術家がこの国にどれだけいることでしょう。
危し、昏し。