昨日は敗戦の日でした。
いぜんから言われていた終戦記念日と言う表現より、私にはこちらのほうがしっくりきます。
終戦記念、という言葉に含まれたニュアンスにはなんとなく、当事者として現実にどのようなことをしてきたのかという意識が薄いような感じがするのです。
ラジオを聴いていたところ、パーソナリティが「我々は大戦に対して被害者意識がある」という発言をしました。
誤解を招きたくないのですが、この方は決して愛国的な偏ったかたでもなく、聡明で勉強家な人物です。
しかし、そのような人でさえ、何気なく暮らしているとやはり、この終戦と言う出来事に対しては二度の核を落とされた被害者の意識を無意識に感じるということだと解釈します。
これは、世の中の能動的な空気の操作、もっと言うなら洗脳の結果であるかもしれません。
別のパーソナリティが言っていたのですが、どうも一定の年齢までの、関西で育った人間には反戦意識、加害者意識がすりこまれているようで、東側で育つとそうでもなくなるかもしれないということでした。
私自身は兵庫で育ったので、広島も遠くなく、反戦意識=加害者視点からの反戦意識として学校でしつけられてきました。
ですので自分より年長の方(東京生まれ東京育ち)が大戦に関して被害者意識を持っていることにかんしては、これが生育環境の差かとも感じた次第です。
もしかしたらこの、幼少期に大戦への加害者認識を教育されていたことは、私の人生に大きな影響をもたらしているかもしれません。
私はフィリピン武術の、おそらくはまだ日本で唯一のグランド・マスターであり、中国武術の師父です。
これらの武術を現地で行っているグループと言うのは、要するに大戦中の抗日組織の裔であり、訓練をしているのは抗日戦のゲリラ戦法です。
そのような物を学ぶ中で、疑問を感じたり違和感を覚えたこともあります。
決して明るく楽しいと言えない環境もありましたし、それを避けてはいけないという気持ちもありました。
フィリピンでは現地で日本兵がどのような残虐行為をしたのかというメモリアル・アートの展示をいくつも目にしました。
また、お隣のインドネシア諸島からやってきて友人になった武術仲間の子が言うには「俺のばあちゃんは村にやって来た日本兵に刀で乳房を切り落とされた。子供を育てられないようにだ」とのことでした。
この話が本当だとしたら、現在も政権が推し進めている臣民政策の陰に、このような民族浄化思想があったということになります。
そのような環境の中で、私は学び、そして認められてきました。
明らかに、私は加害者意識を持ち、加害国の代表として彼らの前に立っていたと思います。
もしそれがなければ、果たしてまったく同じ受け入れ方をしてもらえていたでしょうか。
民族闘争の最前線に立っていた人たちの後継者が、私を仲間として認めて、その技術の継承者として選んでくれたことの背景には、私のこの意識があったに違いないと感じています。
アジアの伝統的民俗武術を学ぶということは、この歴史と直面するということです。
そしてその問題に対して、自分なりの対応法を胸に抱き、その実行を人生の事業として考えられればこそ、両者の傷跡の境界に立つ者という役割を与えられる物なのではないでしょうか。
中国武術の世界では、三不教と言う言葉があります。
三種類の、武術を教えるべきではない人間のことです。
例えば不教酒狂者。
酒飲んでばっかりの奴は酔って暴力振るって問題起こすから教えないのが世の中や本人のためだ、ということですね。
そして不教無知者。
つまりは物を知らない人間には教えるな、という意味です。
日々物を学ばない人間は、酔っ払いと同じレベルのバカだから、やはりそういう人間には教えられない。
先の大戦に対して被害者意識を持つというのは、この類に相当するのではないでしょうか。
最後の三つ目は、不教える自狂者。
自分に狂ってしまっている自己愛性人格者には教えるな、ということです。
愛国活動や保守主義に精を出す人達のことを、集団的ナルシシストと言いますが、もしそういった日本人が中国武術を学びたいと言い出したなら……非常に情けないことですが、現実にこの国にはそのような手合いが非常に多いように心当たります。
これは、この国に本物の中国武術が普及していないのも当たり前だと思われます。
伝統武術の教伝には、倫理と知性、理性と誠意が不可欠です。