もはや偽装をする気もなくなったというか、こんなことを明言してしまった宗教系政党の市議が居ました。
「人権より上に神権がある」
こんなことは個人の勝手な信仰であって、政治方針を決定する要素にしてしまうべきではありません。
民主主義国家と言う物は、民衆の人権こそが最大の基準となっているはずだからです。
この原則を堂々と無視。
こういう人が政治に介入するのは非常に困ったことだと思います。
しかし、これはこの党だけの問題ではないことはすでに皆さんご存じの通りです。
半世紀以上も前からこの国のデザインをし続けて来た長期政権与党が、信仰を動機とした政治方針で国をほしいままにしてきています。
私は長年この国の愚民化教育について、政権の意図のままであると訴え続けてきていますが、その意図にはずばり「無宗教」という物が含まれていたとこのところ思われて仕方がありません。
日本人は無宗教だ、という思い込み、思考停止の定型句は、巧みな計略によって政権が国民の間に敷いた物ではなかったでしょうか。
これにより、国民は「自分たちは無宗教だから」と宗教的な意図に対して無関心、ノーガードとなり、結果、まったく何も気づかないままに洗脳され続けて来たのではないかと思われます。
海外では「自分は無宗教である」と言うと、信念の無い人間、空っぽな人間だと見なされることがあるそうです。
ひとかどの人間とはみなされず、高等な人間だけが加入出来るとされているサークルなどには入れないという話を聴いています。
これは一言で言うなら、政権が日本国民を愚民にとどめておこうとしてきた結果に対する世界的な評価そのものなのではないでしょうか。
このような巧みな人間支配の計略に、いつまでも支配されているべきではありません。
どうかこの度の改革の流れで、より多くの人が目を覚ますことができますよう願ってやみません。