さて、チベット人が顔や手を洗うと性的に不潔扱いされるという話ですが、これはつまり「色気づいている」というような意味合いで解釈が出来ます。
しかし、なぜそんなことを言うのか、と思うのですが、これ、どうやらコンプレックスや身に覚えのあることの裏返しであるようなのです。
というのも、慧海法師曰く、チベット人は常に発情していて男も女もいつも相手を求めている、とのことです。
これがね、チベット的な非常に興味深いところなのです。
というのも、以前にも何度か書いてきましたが、チベット辺りと言うのは西洋的な婚姻の概念が元々ない。
ですので、決まった形での夫婦という物がない地域や時代があったそうなのですね。
村のみんな全員が乱婚状態で、生まれた子供は村の子供として育てる。
これは恐らく、野生の生物としての人間としては自然な状態であったのではないでしょうか。
神様がくしゃみをしたような拍子に雪崩が落ちれば、ヒマラヤの斜面に建てられたテントの村などは一瞬にして半壊します。
そのような状態の中で、気軽に人間を殺しに来る自然に対して人間が生きて種を繋いでゆくためにはこのような繁殖制度が効率的であったのだと思われます。
このような習慣が慧海法師が訪れた時代にも「昔から伝わっていることだ」として日常の風俗と化していたらしく、何度も繰り返し取り上げられています。
ただ、彼が居たのは主に都市部であったため、辺境の村の生活とは少し変わっていたらしく、基本的には婚姻制度はありました。
しかしこれが、一妻多夫だったのですね。
一人の奥さんに沢山の夫さんが居る。
始めはある家に嫁いできた奥さんが、やがて他で別の夫を見つけて結婚して家に招いたり、あるいはその家の他の男家族とも結婚をしてうと言います。
よって、父親と息子で同じ嫁と結婚をしていたり、兄弟で一人の嫁と結婚をしていたりという状態だったと言います。
これは近親婚を繰り返す畜生道の所業であると慧海法師は大変ショックを受けています。
しかしそここそが、彼の著作の冒頭で文化人類学者が注意書きをしていた部分で、レヴィ=ストロースがフィールド・ワークをした部族が「野生の知」によってものすごく複雑な幾何学的な計算で近親婚がもっとも成立しにくい婚姻関係を実行していたように、このチベットの乱婚も実は巧みに近親婚を免れる一定の法則が存在していたと現在では見なされているそうです。
ちなみに、チベットの家族では奥さんの力が強く、日本のように男性が勝手に外で話をつけて物事を決定するということが無いそうで、判断権は奥さんにあったと言います。
複数にまたがった血族を結び付けているのが一妻多夫の奥さんで、この家族制度によって古来から財産が綿綿と相続されているそうなので、これは重要だということもうなずけます。
このような風土であるために、どうも性に関してかなり方向性が広かったらしい。
そのために、顔や手を洗って清潔にしていると、相手を見つけようと色気づいているのではないか、という見なされ方があったようです。
ここで不思議があります。
ということはつまり、彼らの中では、実際にはオープン・マリッジでありながら、どこかでそれに対する恥ずかしさやうしろめたさもまたあった、ということがうかがえることです。
ここが実は次の展開に繋がってゆきます。
つづく