ホグワーツには、社会人の常識を身に着けるための授業があります。
そこで「常識的に礼儀正しい」とされて居る、現代人の「良い姿勢」と言うのは一体どこから来た物なのだろうかと言う話が同級生から出ました。
私はこれを、明治革命の時にフランスやドイツから学んだ物である部分が大であろうと思っていました。
あとは、中国の宮廷作法から儒教経由で来た物も入っているかもしれません。
「技術」や「工夫」という物は、当然既存の「常識」と違うことをするからより効果が高いとされる物です。
みんなと同じことをしていては「技」でも「術」でも「秘伝」でもない。
なので必然上述したような「現代人の常識」は必然、武術業界では否定の対象となります。
しかし、本当に現代人の常識と言うのはそれほど否定さるべきものなのかといういと、まったく完全にそうだとは言い切れないという気が私はしています。
例えば、筋肉の作用には、コンセントレーション、エキセントレーション、アイソレーションの三種類があると言われます。
これは、骨格と同じ動き、骨格は変わらないが筋肉が伸びている状態、骨格と筋肉が別の動きをしている状態の意味です。
アイソレーションというのは「独立させる」という意味ですね。
これを中国武術では骨肉分離と言って大切にしています。だから、中国武術で何をしているのかは骨格の運動からは分からないんですね。それぞれ別の仕事をしているので。
で、これら三つ、前から順番に力が弱い。
骨肉分離しているのが最も力が強い。
だから中国武術は発勁があって威力が想像外に大きい。すごいだろ? 秘伝だぞ? という訳です。
これを別の視点から見ると、威力の大きさ、エネルギーの大きさとは別に、機動性の高さで言うと、前から順番に早いのですね。
力強さと早さは反比例します。
ギアで想像すると分かりやすいかもしれません。
力が出るほど動けなくなります。
ウェイト・リフターが200キロの重量を持ち上げている時の出力は大きい。
しかしその時の力の使い方で50メートル走は出来ないんですね。あまりに遅すぎる。
また、力士のような身体が障害物競走やフルマラソンをすることが有利だとは言えないでしょう。
だとすると、中庸、色々な動きに対応できる身体が利便性の面から見れば効率が良い。
古武術の視点からすれば動けない姿勢かもしれないし、中国武術からすれば力が出ない姿勢かもしれませんが、それはそれでバランスがよい、というのが現代人の常識の姿勢なのではないでしょうか。
現代体育の基礎には兵練があるという観点から見ると、兵士と言うのは色々な作業をしなければならないので、やはり汎用性が高い必要があることが推測されます。
一日の内、五分だけ超人のようなパワーが出せるけど何日にも渡る行軍にはキツイという身体では、ちょっと個性が強すぎる。
やはり、ランや登攀のような移動力は絶対に必要だと思われます。
しかし、それに加えてもう一つ、現代の兵士が必要な能力として、射撃というものは欠かせないでしょう。
近代以降の兵士は、移動、出力、そして射撃の三つが必要になるはずです。
第一次大戦前の兵士たちでもそれは変わらないことでしょう。
ラッパがなれば常に走らなければならない。
突撃してからは銃剣や軍刀で白兵戦をするので、相手に打撃を与えるパワーが必要です。
その時は、走行時のような姿勢から前傾した出力系の姿勢に変化をします。
人間の身体とは、姿勢がバラバラであるほど速度が出ます。
ですので、お尻が出ていて胸が張っている、というのが一丸軽く走れるのですが、これでは軽いだけに肉弾戦ではパワー負けします。
そこで前傾したパワー対応の姿勢になる必要がありますが、これは常識的な「良い姿勢」ではないですね。
この二つだけでも切り替えが必要な訳です。
それに加えて三つ目、射撃時には、力を停めるというまた別の身体の使い方が必要になります。
これは、反動に負けずに身体を固定させるためですね。
もし固定が弱ければ、当然反動で体制が変化するので、狙ったところに弾が跳びません。
これ、先に近代人の身体として書きましたが、実は中世から同様の構造はあります。
銃の代わりが弓です。
これも、身体を止めるという力が無ければ射撃が出来ない。
この三つが戦う力の根本だと規定したのが、騎馬民族です。
乗馬、相撲、弓の三つが強い兵の力だとして尊ばれてきました。
中国武術での基本姿勢が馬歩、弓歩というのは恐らくここから大きな影響を受けているというのが私の憶測です。
つづく