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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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忘れられた身体観の系譜

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 90年代初頭、ある武道書が刊行されました。

 当時は今と違って古武術ブームなどではありません。

 バブル期で、むしろそのような物がもっとも衰退していた時期だと言えます。

 その本を書いたのは、長らく合気系武術をしていたという人で、最終的には本人曰く「挫折」したと書いてあります。

 その後、中国の体育大学系の先生から陳式太極拳を学び、そこで学んだ勁論の視点から合気武術を解読して見た、というのがこの本の内容です。

 90年頃ということは、この先生が実際に本を書いていたのは80年代です。

 つまり、陳式を学んでいたというのもその時代。

 日中国交正常化以後の最初の世代の人と言えます。

 そういう意味では、日本の中国武術界におけるパイオニアの一人と言って良い先生です。

 そして、書籍の姿勢も非常に学問的論法に誠実で、内容もとてもまっとうな良書です。

 90年代にこの本が出て後、目に見える骨格運動を主体とした新古武術ブームが訪れていまに至っており、書籍で語られたような内容に関しては、ほとんどこの国で語られることは無くなりました。

 しかし、実は私が見ている限りでは、中国武術の身体操法に関しては、この本で語られている系譜こそがもっとも正しい。

 この系統が喪失したことは、実はこの国の中国武術界の発展性の乏しさと直結しているとも言えると感じています。

 ただもちろん、80年代に修行を始めて十年位で書いた本ですので、足りていない部分もあります。

 著者はこのシリーズをその後も描き続けていたのですが、90年代当初ですでにいまの私より年上くらいなのかな?

 年齢的な進捗の難しさもあったのかもしれません。

 また、最後に出版された物では、すでに80代となっており、冴えわたっていた分析能力にも陰りが見えていたことも否めません。

 それでもこの本は私が道場に通い始め、武術の本など読むようになった80年代からいまに至るまでで、もっともよい内容を、おそらくは唯一公表した物です。

 これを最近部屋から発掘して読み返してみたのですが、これまでは気付かなかった面白い視点があることに気付きました。

 それは、猿の枝渡りについてです。ブラキエーションというのでしょうか。

 この、枝から枝へと手で渡ってゆく行動が、霊長類に物を掴んで操作するという器用な指先をもたらし、それが大脳を発達させることになって人類の進化に結び付いた、ということが書かれていました。

 これはこの著者の見解ではなく、マルクスの論だと言います。

 私もマルクスとはいつか向き合わないといけないとかねがね思っていたのですが、いまだ私の見地は古代から中世を学ぶ途中です。もう少し進まないとあの巨人とは向き合うことが叶わない。

 このマルクスの枝渡り論から武術の身体操法を解読するという姿勢は、恐らくは生物学上極めて正しい。

 そういったスタンスが見られず、現代日本人の日常生活の中だけの見解で、その延長上に身動きを発展させることしかしないので、私はいまどきの身体操法に対して「物足りないところがある」と感じているのです。

 あまりにも範疇が狭すぎる。

 人間の身体を分析するなら、必ず時間的な遡行が必要になりますし、猿の時代からの発生学的な分析が本質を掴む土台になるはずです。

 さてこの猿の枝渡りの生活様式と言うのが、霊長類の本質的な生物としての個性という視点からみるなら、当たり前ですが人類の行う武術と言うのは、霊長類の本能に合致した物になることで一つの方向の進捗をみるはずです。

 中国武術に詳しい人なら上の文でハッとしたかと思いますが、枝渡りの身体論、まさに中国武術でいう「通背」なのですね。

 このように自分の身体を過去にさかのぼって掘ってゆく、というのが私たちのしていることです。

 逆に、いやそうではない、人間とサルの違いこそが人知の追求する物であり人間の英知なのだ、という考え方がキリスト教圏的身体の概念、スポーツの発想です。

 人間がより人間らしく、つまり否動物的になることこそが神の意に叶ったことだという文化的土台があるからですね。

 しかし、アジアの身体文化ではそれは逆行します。

 我々がまるでパラダイス・ロストしたように見失ってしまった動物の時代の動きを取り戻すことが目的だ、というのがヨガや中国武術、気功に通底する東洋的身体哲学の中核です。

 そう。パラダイス・ロストしたのは聖書文化圏の人間だけではありません。

 インド神話もタオの思想も、あの孔子様の儒教でさえ、人間はかつて完璧に近づいていたがやがて堕落していまにいたっているのでそれを取り戻そうという懐古主義にあります。

 そのために、タオでは神様と言うのは半人半獣であったり、あるいは全裸で毛むくじゃらで山に住む野人の姿で語られます。

 私がキャリステニクスに関心を持ったのは、その布教者であるポール・ウェイド先生がこの、動物時代の力を取り戻すという懐古的な思想を持っていたためです。 

 結局は、彼が伝えていたキャリステニクスがトルコやインドにルーツが繋がっている物だということがやがて分かってきたのですが。

 ウェイド先生もまた、猿の時代の枝渡りの力の重要性を説いています。

 この能力は、西洋体育で育てられたジムのマッチョマンたちにはないものだと語っています。

 私自身も実際に、自分の身体でその検証をしてみてこの部分を確認し、自分はそこそこに東洋式に鍛えてきたつもりだと思いあがっていましたが、こんなにも現代人化していたのかと驚かされました。

 日本の身体操法業界において、上述の書籍が忘れ去られており、この視点もまた黙殺されているということからもまた、この国のあり様がまざまざと見えてくる思いです。


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