医療業界の生存率と待遇の話から始まって、医療業界の頂点であるはずの医師の収入に驚き、それから恥ずかしながら初めて世間様のいまの平均収入を知り、その値段にさらに驚いて、そこから見えたこの国の政権のやり方に改めて大きく驚いた次第でした。
そういった段階を経て、そういう国のやり方に対して唯々諾々と飼いならされてきた国民の実態に本当に驚かされています。
よくね、ネットなんかで目に入ってくるのが、マウントの取り合いだなんだって足の引っ張り合いの話なんですけど、そういうことしてる連中、せいぜい年収500万とか600万の連中な訳なんですよね。
そんなもんどんぐりだよ!
そうやって他人と比べる前に、君たちにはもっと考えるべきことややるべき課題があるだろう! って思って仕方ないんですけど。
よそ様と収入比べるなんてのは、1000万のが1500万の人んちみて「よし、自分ももう500万増やすために事業拡大するか」ってなもんですることで、総額500だ600だなんて連中のレベルでやって一体なんの意味があるんだ。
恐ろしい話ですよ。
そもが多大な投資をしてお医者なんかの知的階級になるよりも、サラリーマンになる方が楽だし上手くやれば収入も変わらない。
さらには税制まで優遇されています。
これは、明らかに産業革命以降の、大衆の大量繁殖という意図が如実に反映されていると見て間違いはないでしょう。
元々は、農家の次男三男のような家督を継げない食い詰め者を養うためにサラリーマンや工員、兵隊なんかという職業の道があったと言いますが、当然ですが核家族化以前の社会では長男とその他では人口比率が違います。
みるみる世の中は、責任をもって自分の仕事をする人々ではなく、唯々諾々と上位下達で動く人間によって成立するベルトコンベアー式のシステムになってしまった。
いままでは社会学や歴史、東洋哲学の側面からこういうことを書いてきましたが、それらの答え合わせが今回、収入と言う数字で出来たような気がしています。
この恐るべき流れは今、世界的に破たんが可視化されてきていて、持続性を求める若い世代を中心とした反発運動によって打破されようとしています。
この、反権威主義、反反知性主義への流れはまたいずれ書くことになることでしょう。
今回、恥ずかしながらようやくいまになって私は世間並みのお金の概念という物に触れたことによって、自分が世の中の旧来の近代化の流れに乗って生きてこなかったことを、本当に良かったと思うことになりました。
正直、胸をなでおろすような思いさえありました。
好きなことをしていてもしていなくても、いまの社会ではこの程度にしか年収面では差はないじゃない。
金のためにすべてを捨てて、人間性も失って良心も持ち合わせず、知性も品格も置き去りにして、うつ病になったり過労に成ったりハラスメントをされたりしたりしながら生きていても、実入りなんてそれほど変わらないんですよ。
だったらそんな人生選ぶ価値ってなんなの?
地方に住む友人は、私のこの感想はあくまで首都圏の人間の物で、もう一回り都内から離れれば年収350万で家買って家族六人で暮らしてるって言うんですね。
だとしたらこれは、都市生活者の傲慢が入った視点かもしれません。
また、サラリーマンは勢での優遇がだいぶ利いているのでその上で家など買えばさらに税金面での優遇があるので、一層楽になれるとも言います。
けど私は、やっぱりこれでよかったと思っています。
税で言うなら、一つには消費税の問題があります。
また、ガソリン税、酒税、たばこ税なども、均一にどこに住んでいても取られている物でしょう。
しかも国はさらに消費税を上げ、さらにはそれを防衛費に回して世界最大クラスの防衛費を制定しようとしている。
その部分を鑑みると、サラリーマン優遇はどこかインチキの匂いがします。
もう一つ、今度は個人的な面の話を上げると、現在私は所得税を実質殆ど払っていません。
それは、好きなことを仕事にする、という因果の組み合わせでそういうサイクルを作ったからです。
好きなことにしかほぼほぼお金を使わないので、全部事業費として計上しています。
本を買ったりするのは研究費として挙げられます。
もちろん、高価なテレビを買ったり高級外車を買ったりは出来ないし、女性のいるお店で豪遊することも出来ません。
そういうお金はありません。
しかし、いつも書いているように、私はテレビは観ないし車も乗らないしお酒も飲みません。
そしてそれらすべてが、自分にとって良い方向に働いています。
そういうことが、自分の生き方を良い方向に円環させる、というタオの考え方なのではないでしょうか。
ですので私は、いまのこういう、何をどの方向に努力しても搾取され、苦しむことになるような世の中で、自分の生き方の選択に胸をなでおろしたのです。
この国の貧しさ、問題に直面して、改めてそう思うことになりました。
こういうことを、若い人たちはもっと早くから知る機会があれば、より多くの人が目を覚ますきっかけになるのではないでしょうか。
中高生くらいの進路について考え始める時期に、しっかりと、世の中はこの程度のものなのだと教えることは各人の人生を良くするために、非常に重要なのではないかと痛感いたしました。
願わくば、一人でも多くの人が目を覚まして、強迫性の強いずるい大人たちに騙されないようにと思います。