ここからの記事は前回までの内容へのつけたりです。
前回までの記事では、私が20代の頃に従兄から教わった経済観をそのままに、それから二十年も経ったところで改めてセケンの収入の相場を知って、世の中の経済の状態を皮膚で知って驚いたということを書いてきました。
その間、私がどうしていたかという、いわば世間の経済の裏面をちょっと書いてみようと思います。
少しだけ景気が良かった若い時期の一瞬から、私はみるみるドロップアウトしました。
その後、ボディガードなどをして命を売るようになったのですが、それはすなわち半ば二足の草鞋のような状態でした。
なにせ私もスッ堅気とは言い切れない状態だったためです。
最低の街のチンピラとしての面があり、仲間たちと言えば盗んだ車を新潟の漁港に持って行ってロシアに売ったりしているような有様でした。
この頃の私の正業での収入が、月に14万円。ワーキング・プアと言う言葉が出来た時代です。
この時代にリフレクソロジストをしていた元カノは、月に手取りが18万円前後。
それで、親元で暮らしている同僚が「お金がないのー」などと言ってることに対して「月に20万円近くも使える人間がお金がないとか言うな!」と怒っていたことを覚えています。
ちがう。そうじゃない。
君は君の判断として独り暮らしをしている訳で、元から東京に住んでいる人間が親元にいるのは君とは関係のない話だ。
そのことに怒る筋合いはこれっぽっちもありはしない。
明確に怒りの対象を間違えている。
正しく怒るべき矛先は、そのような経済状態を運営している政府と、ワーキングプアをのうのうと雇っている雇用主であろう。
そのような、互いに足を引っ張り合って団子になって落ちていきたがる傾向が、彼等本来の怒りの対象たちにとっては思う壺となる心理だろう。
いまの時代に通じる、金銭と精神の貧困と言う物がこの辺りの時代にまんべんなく行きわたったと感じます。
それがまさに、2ちゃんねるが大ブームを経て一般化していった時代でした。
ちなみにその勢いで「恋のマイアヒ」が大ヒットしたのが2004年。
当時の森喜朗首相が「イット革命」と発言したのが2008年です。
この後に渡っても、経済的な改善はご存じの通りまったく実行されず日本の経済は悪化をし続けているのはご存じの通り。
その位の時代に、私も二足の草鞋を履いていた訳です。
ヤクザをやっていた友人や、違法性の高いことで収入を上げていた友人たちと一緒に生きており、私もそれらに接することは日常的だったと言えます。
暴力団に在籍している友人が言うには、当時ヤクザもまったく儲からなくなっており、人手が足りず、私にも組から正式に構成員になるように声がかかったことがありました。
しかし、なってもストレスフルなだけでまったくプラスの要素が見つかりそうにないのです。
逆に、お金にもならないどころか下手すれば売り上げ取られるのに、なんでヤクザやってるの? と友人に訊いたところ「わかんない」とのことでした。
おそらくは、行き場所が無い人達が残っていたのでしょうね。
もし、少なくとも生活が豊かになる程度の収入がそれで約束されているなら、私もこの時に誘いに乗っていたかもしれません。
けれどもまったくその気配がありませんでした。
これはこの時代にこの辺りの界隈にいた同年代の人間の多くが感じていたことだそうです。
2011年、半グレという言葉が世の中に知られるようになりました。
これは一言で言うなら、暴力団組織が経済的優位を失ったことによって、本来であったらその構成員となっていた人材が各自自由な立場で独立採算を始めた、ということだと解釈して良いと思われます。
ちなみに、私自身は半グレという言葉は肉声で聴いたことはありませんでした。
「グレーゾーン」「半正直」という言葉が使われていたように記憶しています。私自身も自分をそのような言葉で認識していました。
「ホンショク」のおじさんたちは私たちのことを「はんぱもん」と呼んでいたかもしれません(私たちはホンショクの子分ではないので、彼らのことは〇〇のおじさんと呼びます)。
私の見てくれややっていることを「ヤクザだ」と言う友人や知人はいましたが、私にとっては違いました。だって組織には所属しておらず、あくまで自分たちのネットワークと才覚で売り上げを出していたからです。
その経緯で「ヤクザ」と関わることはありましたが、それはあくまである種のすれ違いです。
こういったスタンスの人間が当時恐らく沢山いて、それが2010年代くらいから半グレと呼ばれるようになっていったのでしょう。
私もそちらの方面に才覚があれば、今頃は飲食店のいくつかも経営して羽振り良くしていたかもしれません。
そうなっていたら、いまの幸せはなかったでしょうね。
同年代のアウトローたちが半グレとなって経済的に満たされてゆく中、私は更生への道を進もうとしていました。
そして表の世界の一番下から入って行ったのですが、いや、世間の人間の醜さは、犯罪の世界の人間たちとまったく変わりませんでした。
ヤクザもサラリーマンも、知能と倫理観はまったく変わらない。
むしろ、自分たちのやっていることを自覚していて覚悟をしているだけ、ヤクザの方がマシだと思ったことさえあります。
私が更生して入りたいと思っていた、平和で心安らかな中流セケンと言う物は現実には見つけることができませんでした。
そういった中で私は完全に世の中や人間と言う物に絶望してゆき、その中で師父と出会って自分には全く見えていなかった世界に入ってゆくことになりました。
そこから隠棲の道を選び、学問と伝統に生きるようになった次第です。
引き金となったのは「他人の幸せを思うなら、まず自分が幸せになることから始めてみてはどうでしょうか」という師父のアドバイスでした。
自分みたいな社会のクズが、という思いがそれまではあったのですが、そのお言葉が背中を押してくれました。
自分と同じような人達を救うために、まずは実験として自分を幸せにする方法を模索すると言うタオの探求がそこから始まりました。
どのように物を考え、陰陽をかき分けて因果を紡ぐかと言う哲学の実践をして、結果前までの記事に書いてきたような暮らしに至れました。
そこで初めて世の中の収入状態に目を向けて「まだこんなことをやってるのか!」と驚いたと言う次第です。
この間、以前にグレーゾーンの仕事でだいぶ収入を与えてくれていた社長さんに声を掛けていただいたことがありました。
新しい事業に関わっているので、私に来てほしいとのことでした。
一日7時間以下で、最低でも月に70万は持たせるとのお話でした。
「いまどき大企業の部長だって月に50万程度だって中で、こんな話は中々ないよ。絶対に幸せにする自信がある」というお心遣いでした。
けど私にはもう、自分の作ったサイクルで好きなことだけをして生きていくことが幸せになっていたので、今回はお話はお断りすることになってしまいました。
あるいはこれが、私のこの、国が衰弱し続けているなかでの再生と更生であったのかもしれません。
私自身はいま、自分をとても幸せだと感じて日々を生きています。
もしそれが可能であるなら、その幸せに生きる道を他の人にも分けたいと思って活動をしているのですが、これがやはり、人の質と言う物を非常に選ぶ物であるようなのです。
しかるべき心と、学ぶ姿勢のある人にしか、このやり方はどうやら出来そうにない。