ジョーゼフ・キャンベル教授の神話学は、人類史の変遷と神話の成り立ちを非常に面白く分析しています。
元々、狩猟採取生活をしていた原始の状態に、神話は生まれたことが洞窟の壁画などから推測されています。
その時代に、世界は円環しているという発想が生まれたというのが教授の説です。
すなわち、すべての命は生まれ変わるという思想です。
これは、キリスト教が世界の創生から神の園に向かう一本道であることとは興味深い対比になっていると感じます。
キャンベル先生曰く、これは動物を殺して食べていたということが関係しているそうで、自分たちが食べた動物を祀ることによってその魂が生まれ変わりのサイクルに還り、後にまた動物としてやってくるので、永遠に動物を食べ続けることが出来る、という生命観が出来たということです。
ですので、このような宇宙の仕組みに使えるシャーマンは動物の毛皮や骨をまとったり、それらの霊を降ろしたりということをします。
また、自分たちの先祖が動物である、とか動物の力が支族に宿っている、というような考え方、トーテム思想というのはこの考えによって成り立った物だといいます。
一方、植物の採集に関してはどうだったのかというと、これもやはり同じように考えていたとのことです。
一度は枯れた植物が、春にはまた目を出して実を付けてくれる。
ここにも生命の円環を観ることが出来るため、生命の樹のような永遠や再生のシンボルが生まれてきます。
近年、土偶というのは植物を擬人化した物だという研究を発表した先生が居ましたが、これなどはまさに植物版のトーテム思想だと言えましょう。
また、ご神木や御柱、だんじりやふなっしーなどもこの延長にある物だと考えられます。
やがて農耕生活が興ったときに、大幅に価値観の変化が起きたと言います。
これによって土地や資産、権力という物が社会的価値観において意味をしめるようになってゆき、人は人を崇めるようになってゆきます。
この時に、社会が狩猟社会なのか、それとも農本主義なのか、あるいは牧畜を主体としていたのかによって文化の性質は大きく変わるといいます。
面白いのは、牧畜を主体とするキリスト教の価値観を持つ国や、あるいはモンゴルの遊牧民のような人たちの中に、強い侵略思想が共通するということです。
これは恐らく、土地の植物を家畜が食べつくしたら移動しないとならない、ということが根本にあるのではないでしょうか。
そのために、彼らは常に次の土地を求めてゆかなければならない。
こうなってくると、社会は人間を主体とした物になりやすく、神話は宗教へと変遷をしやすい環境に至るのかもしれません。