以前に、男性器の勃起と言うのは副交感神経に由来する機能なので、陽根崇拝というのはあるいはリラックスした状態通じる物なのかもしれないということを書きました。
今回は逆の事例について書きます。
神話学のキャンベル先生は、それを「ネガティヴ・ファルス」と呼んでいます。
ファルスと言うのは男性器のことですね。
ですのでネガティヴ・ファルスと言うと陰の陽根というか陰の陰茎と言う意味になり、陰だか陽だか分からない状態になるのですが、これはそういうお話です。
このネガティヴ・ファルスと言うのは、残酷な殺害の儀式を行う時に着けられる摸倣的な男性器の装飾品という形で表現されます。
例えば、ある部族では戦争のあと、捕虜を処刑する時に牛の角を付けた司祭が手を下したと言います。
処刑後、犠牲者の血は角に塗り付けられました。
あるいは直接その角で殺害したとも言います。
このように、男性器による交接が害意を現すということが、古代からもうあるのですね。
これは非常に悲しいことですが、種の習性としてこういう面もあるのです。
現代ではFワードという物があって、性交と侮辱、加害の連絡を象徴していますね。
決して、愛する者と自分を繋ぐ物として男性器が存在している訳ではない面を表現しています。
これは人間のみの習性ではなく、それ以前の霊長類の習性としてもみられるようです。
チンパンジーなどは、オス同士の勢力争いの時に、相手の上にまたがって示威行為をするマウントとおいう習性があります。
これは、本来メスに行うはずの性交時の姿勢を同性に行うことで序列を証明しているのですね。
人間に幸福感を与える性機能が、こういった意味で活用されることには個人的には悲しい気持ちを覚えます。
しかし、生理学的には性的な活力がそのままあらゆる活動力に繋がっているので、これが暴力や権力の面にも繋がってゆくことは当然でもあります。
陰陽思想ではすべては陰と陽およびそれ以前の混沌から始まるので、存在するすべてのことはどうしても繋がってゆくことになります。
そこに人間が後から決めたような倫理や観賞はありません。
力の働きはただ無為にそこにあるだけです。
それをどのように活用するのかは、その人の存在の在り方そのものでもあるのでしょう。
私がとても好きなある友人は、レベルの低い人間のことを「チンパン」と表現していましたが、チンパンどまりの行動をする人間として終わるのかそうでないのかは、私たち各人が選びうることであるというのがせめてもの救いであるとも感じます。
どうか一人でも多くの人が、チンパン状態から目を覚まして人間として生きられますように。