身の回りに、とても個性的な生き方をしている自由を愛する人たちが何人もいました。
しかし、彼等、彼女たちのいずれも同時に、自分で自分を不自由にしているように私には見えました。
自由になるというのは、単に無軌道であるということではありません。
私も「自由になることで気持ちよく生きるためのマーシャル・アーツ」団体の師父を名乗っていますので、自由については一言あるのです。
彼女たち、自分で自分を不自由にしている人たちと言うのは、自分だけを見ているので不自由になっている。
フロイトの段階、自己主張、自己防衛、自己執着の段階です。
それだけ自己に拘っているのに、どうして不自由になってしまうのでしょうか。
自己の出来が良くないからですね。
自我が未熟で自分で自分を不自由にする能力しかないのに、それに全ベットで身を任せていればそれは破産することになります。
以前に紹介した、詐欺で捕まった美人格闘技選手が典型です。
他人より優位に社会生活を送れる地盤があるのに、それを送る自分が未熟だから他人よりも惨めな生き方になってしまった。
これね、反省しろとか苦労しろとかそういうウェットなことではなくて、単に自分の外にある世界をもっと学べば回避できることなんではないかと思うのですね。
だって、生きるというのは、自分と言う主体とそれが生きる場所としての世界で成立するものでしょう?
世界について興味を持ってその因果関係を学んで行ったら、自分がどうすればその場所で幸せになれるかってことが掴みやすいと思うんですね。
それを怠って、鏡の中の自分に見惚れてばかりだと、やっぱり幸せにはなることは難しいでしょう
「準備をしないのは失敗する準備をすることだ」という言葉があります。この世界で生きる準備をきちんとしておくことって、他の誰でもない自分のためだと思いますよ。