以前にこちらで取り上げた詐欺で捕まった美人女性格闘技選手に対して、業界からは幾つもの声が上がっていました。
中には再出発を期待するという社会的な姿勢の意見もあったのですが、行き過ぎていると感じる物もありました。
後者の声として物凄いと感じたのは「離れて行く人もいるだろうけどそういうのはふるいにかけたと思えば良い」という物でした。
いや、明らかに社会や信頼関係にあった人達からふるいに掛けられたのは加害者本人であるのに、逆に自分がふるいに掛けたとみなせという恐ろしいほどの自己中心性です。
さぞ犯罪者の感情に共感するパーソナリティの方なのでしょう。
そのような人たちの声が業界に広くあったら大変に困るな、と不安を抱いていたのですが、無事加害者は所属ジムから契約を切られ、家も引き払うことになったとのことです。
彼女を稼働させることで最も直接的に利益が出るジム側がそのような理性的な判断をしてくれたというのは、社会や業界に対する信頼感が増す、理性的で倫理的な選択であったと感じます。
そのような対外反応が乏しかった時代があり、お金になれば何でもよい、という興行がまかり通っていた時代が長くありました。
結果、そのようなマスメディアでのみ格技を認識する多くの世間の層に対して、格闘技実践者が胡散臭い人間、知性の低い人種と見なされるてきたことは無関係ではないでしょう。
加害者本人や「ふるい」発言の選手がその場に生存場所を求めてきたこともまた、無関係ではないでしょう。
一流の興行スポーツである野球ですら、そのような流れはずっと続いていました。
いまではそのようなことは当たり前になっていますが、戦前まではプロ野球はいかがわしい興行ビジネススポーツだと見なされていて、大学野球こそが本当にクリーンな物だと見なされていたと聴いたことがあります。
昔はそのようなアマチュアイズムへの美化がありましたが、これもいまはもう懐疑的になるべき概念なのではないでしょうか。
オリンピックと政治権力、資本の腐敗構造があまりにも露骨すぎる。
そのような世界で育ったのですから、若いスポーツ選手がそういった考えに染め上げられて育ってきたのは当然と言えば当然です。
歴史と教育の必然でしょう。
彼女たちに欠落していたのは、圧倒的にこの教育であると言うのが私の痛感するところです。
彼女は犯罪の動機として、投資詐欺に遭って借金を負っていたとのことを発言したそうですが「詐欺にあった。よし、詐欺で取り返そう」というのがもう、完全に間違った、腐りきった物の考え方ではないでしょうか。
自分が被害に遭ったら、それはそこで止めよう、とかそのようなことが起きない活動に参加しよう、と考えるのが人間の知性であり、理性なのではないでしょうか。
自分の感情以外に判断基準を持ち合わせてこれなかった貧しい自己中心性が彼女をそこに導いたように思います。
「何もかも失ってどん底に落ちてしまった」と彼女は発信していたとのことですが、自分が加害者なのにまだそんな自己憐憫の発言を平気で出来てしまうところに、自己愛性人格の病巣の深さを感じます。
つまり内面性の意味で言うなら、元々彼女はどん底の最底辺に居たんですよ。
それがたまたま身の丈に合わない宝くじを引き当てられたにも関わらず、身の丈にあってないがゆえに余計なことをして本来の等身大の状態に着地した。それだけのことではないでしょうか。
キャンベル教授の学問から得た言葉を、私は最近強く意識します。
それは「準備が出来ていない」ということです。
彼女はまだ、成功に至る準備が出来ていなかった。
それなのに物質的なステップだけを登ってしまった。
処刑台の階段を登るような物でしょう。落ちるために一旦上がっている。
どれだけ宝くじに当たり続ける幸運があったとしても、上にいけばいくほど厳しい選択を迫られる局面に遭遇することになります。
そして失敗すれば上っただけ落差が大きく、ダメージも比例する。
もし、彼女がいま少しマシな教育を身につけていられたなら、詐欺にあった後も、被害経験のある選手としてセミナーやキャンペーンに参加したり、防犯団体や被害者団体の活動をして、少しづつでも被害を回復させることが可能であったことでしょう。
そして被害額を取り戻せるまでにそのような仕事を果たしたあとは、被害以前の状態を遥かに越えた信頼と人脈、認知度が成立していたはずです。
そういうことを見ることが出来ない。
自分が損したら即時、自分のファンや業界の同胞をだまして食い物にするという選択に手を付ける。
そんな楽屋泥棒みたいな人間を、信頼してバジェットを任せようというようなことは非常に少ないことでしょう。
元の世界でも一般社会でも、これでもうまともに生きてゆくことは難しくなってしまった。
それでも、そのように明らかにふるい落とされた人間に対して「自分がふるいにかけたと思え」と言うような人間がまだ居る。
そういう安易な世界に近づいて行ったなら、やっぱりまたそこで自分と同じ種類の人間に食い物にされることでしょうね。
おそらく、これまでの人生で彼女に対して「その考え方は間違ってるよ」とか「そういう人格には問題がある」と言ってくれた人はいるはずだと思うんですよね。
でも彼女が、耳に甘い考えだけに逃避して、そういった人たちの社会適応に有効な意見を「ふるいにかけて」きたのでしょう。
結果、そのような同類しかいない場所へと滑落して行ってしまっているように思えます。
良い人生を送るには、やはりきちんと準備をした方がいい。
物を学ぶというのはそのためのとても有効な選択だと思いますよ。