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心理学的に観た鬼滅の刃の優秀性

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 最近、同級生に勧められて(そして貸してもらって)、鬼滅の刃を読み始めました。

 初めは今どきの流行のマンガなんて私が読めるのかな、と思っていたのですが、これがとても面白く読むことが出来ました。

 理由としては、これがおそらく、現代のマンガ文脈の最先端にあるという物では無くて、より普遍的な物であろうからであると思う次第です。

 おそらくは、この作者の方は相当心理学に明るい方なのではないのかな。

 逐一実に理にかなっているのです。

 少年マンガと言うのは、90年代以降、明らかに少年の手を離れていたように感じます。

 21世紀に入ってからは、少年ジャンプはおじさんが読む物だ、という小学生の言葉を読んだこともあります。

 確かに、オタクとおじさんの専門誌化というのが少年マンガのメインストリームであるように思います。

 かつて四大誌と言われた物のうち、男くささを売りにしていたマガジンやチャンピオンまで明らかにオタク向け路線にシフトして甘口になっているように見えるのはそのためでしょう。

 振り返ればその萌芽はすでに80年代には見えていて、コブラにおいては言わずもがな、キン肉マンやケンシロウ、冴羽遼と言った少年ジャンプの主人公達はみんな大人でした。

 比較的若い主人公だった聖闘士星矢などでも、主人公は中学生か高校生くらいの設定で、小学生の読者からは明らかに年上のある種の「大人」でした。

 また、同世代だった孫悟空や大空翼は、連載中にどんどん成長して大人になってゆきました。

 本当に、小学生が同世代の物語として読めるのはジャンプでは無くてコロコロコミックなどの子供マンガの主人公達で、少年マンガは常に、あこがれの対象として先に行っている年上の人たちのお話を見る物でした。

 しかし、鬼滅の刃は明らかに子供の手に少年マンガを届けた作品だと言えましょう。

 小学生たちが主人公の炭治郎少年をモチーフにしたファッション・グッズを身に着けている姿を沢山目にしたというのは、そういうことの顕れでしょう。

 基本マンガを読まない私がこの作品のことをしったのも、それらのファッション面での経済効果からが最初でした。

 当然ですが、読者層をオタクや中高年から子供を含めた領域にまで広げれば、ヒットの分母は大きくなるのですよね。

 おそらくはジャンプが憧れとしての年長者を見せていたというのは意図的な戦略だったと思うのですが、今回の鬼滅の刃の子供への寄り添いもまた、作者の強い意思が垣間見えるように思います。

 先に名を上げた主人公の炭治郎少年ですが、少年マンガの必然で当然彼にも年来や能力の近い仲間たちが居ます。

 しかし、それらの少年超人たちと、炭治郎くんは明らかに異質なんですね。

 彼は元々、父親のいない子だくさんの母子家庭で、長男として家のお手伝いを大切にして暮らしていた子供です。

 それが、家が鬼に襲われてしまい、自分一人が無事、妹一人は重病に感染、残りは死亡という不幸に遭遇し、可能な限りの現状の回復を第一動機として物語の主人公になります。

 上述の仲間の少年の一人、善逸という不思議な名前の男の子は、常に怯えていてパニック状態に陥りやすく、敵からも味方からも「こんなバカみたことない」と言われるような落ち着きのない少年です。

 そんな子に一体どんなモチベーションが、と思うのですが、これが女性なのですね。

 鬼退治などに興味はなくて、異性と結ばれて幸せな暮らしをすることだけを目的にしています。

 が、受動的に捲きこまれて行ってしまっている。

 炭治郎少年の回復という目的に対して、彼は常に巻き込まれ型の受動的なかかわり方をします。

 この、巻き込まれ形かつ異性が動機と言うのは、これ、まさに既存の主人公の典型ですよね。

 ここに作者の実に明晰な分類能力を見るのです。

 既存の主人公の典型を脇に配置して、それを「みたこともないバカ」と設定することで、既存の文脈の反復と言うオタク・カルチャーにおける少年マンガの消費の形を明確に意識して一線を引いているのです。

 もう一人の主人公チームの一員、伊之助少年は上半身裸の肉体派で、あたまに猪の覆面を被った野生児のキャラクターです。

 野生児と言うと我々は「オッス!」や「腹減ったー!」と言いがちな類型的な主人公を彷彿します。

 ここにも作者の、既存の文脈との差異の取り方が主張されていることを確認できるのです。

 この伊之助少年は、典型的な野生児キャラクターのような好感の持てるルックをしていません。

 おそらくは本当の猪の頭で出来ているのであろう覆面を被った姿は非常に生々しく、覆面レスラーなどのキャラクターではなく生き皮のマスクを付けたスプラッター映画のサイコパス殺人鬼を彷彿させます。

 そして人間性もまた、天真爛漫で小さいことは気にしない自然児などではなく、常に他人と自分を比べて他人より勝りたいという比較の欲求のみで形成されたような人となりとなっています。

 一言でいうならその、承認欲求が彼のモチベーションなのですね。

 つまり、天衣無縫の野生児であるようで居ながら、実はものすごく社会的なキャラクターなのです。 

 全然無邪気じゃない。むしろ邪気しかない。

 で、ですね、この、いつも人と勝手に競っていて、他人に勝つんだ、一番になるんだ、というキャラクターは、やはり既存のスポーツマンガの主人公の典型ですね。

 スポイルされた体育会系のスポーツマンとして、そしてそのまま会社に入った社会人として、実によく目にする凡庸な一般人の姿そのものです。

 そして、ハンナ・アーレントの「凡庸は悪である」という信念通り、現在ではそのような思考の群体はもう、社会悪の要因だとして対応が始まっていますね。

 このように、鬼滅の刃はものすごく類型的な、過去の少年マンガの主人公達とそれらが少年たちに与えてきた影響が社会の悪風に繋がっているのではないか、という反省を感じさせる構造で作られています。

 それらへのアンチテーゼとも言える主人公、炭治郎少年はというと、彼の問題はあくまで「家庭の中」のことであって、読み手の子供たちが持っている環境にあることでしか形成されていないんですね。

 精通前の子供がそれほどリアルに現実のこととして恋愛感情を中心にしているということは少ないでしょうし、自己実現を中心にしている立派な子供たちもおそらくは一部でしょう。

 本当に、誰にでもわかる、もっとも身近な最大公約的なことが動機となっている。

 そして、彼の目的は少なくとも初期では「回復」であって、獲得ではないんですね。

 子供ってそんなもんではなかったでしょうか。

 ほんのりと、大人になることにあこがれはしていながらも、決して能動的に大人になろうと日々急いで生きてはいなかった。少なくとも私はそうでした。

 それは、子供時代がそれ単体で完成しており、まるで永遠に続くかのように感じられていたからではないでしょうか。

 炭治郎少の人生観ってのは、まさしくそれなんですね。

 子供たちに年長者への憧れを刷り込んで、社会化に誘導しようという意図がそこにはまったく見られません。

 それどころか、主人公の炭治郎少年は、その完成された子供世界の視点を土台に安定した人格を確保しており、明らかに他の登場人物たちより優位の視点を持っています。

 それは、完成された土台を持っていて揺らがないからなのでしょう。

 自己保存の欲求に取りつかれていて、早く異性と結ばれて家庭に入りたいと焦る善逸少年の感情は非常によく理解が出来ます。

 私もハイティーンの頃はそうでした。

 仲間のヤンキーの子なんかはそのまま結婚していた。

 この、発情期を経たら繁殖を主体に生きる、というのは生物として当然のことです。

 しかし炭治郎少年は理解を示しません。

 ただ呆れ、見下し、最終的には憤って見捨てます。

 これは彼にはまだ、そういった恋愛や繁殖と言う性衝動が訪れていないからでしょう。

 もう一人の伊之助に関しては、炭治郎少年はさらに見下しています。

 自分はすごいんだぞ、誰よりも優れているんだぞ、とひたすら主張を続ける承認欲求の奴隷である伊之助に対しては、炭治郎少年もあの善逸君も「あぁ、可哀そうな子なんだな。きのどくに」と憐れんだ生優しい笑顔を向けて頷いています。

 このときに後ろに書き文字で「ほろり」と書かれていたシーンが私のお気に入りのシーンです。

 人と比較して承認欲求を満たすことしか知らない人間は、まともな環境で育つことが出来なかった可哀そうな存在だ、ということが極めて直接的に表現されています。

 私たちの周りを見回した時、そこには善逸君や伊之助少年が沢山目にはつきませんか?

 子供の時は、もっと満たされていて、幸せで、優しく生きてはいられなかったでしょうか?

 社会の抑圧に追い詰められて、異性に逃げなきゃ、プライベートな隠れ家を作らなきゃ、と焦ったり、人と較べて勝っていることや虚勢を張ってそれを喧伝したりすることで安心を得るようになってしまったりしていなかった。

 一体私たちは、いつからこうなってしまったのでしょうね。

 キャンベル先生の言うフロイトの段階、自己防衛と自己主張、自己執着の段階の人間に成り下がってしまいました。

 炭治郎少年を理想のヒーローとして描いたことは、本当に偉大なことだと思います。

 彼を子供の頃にヒーローとして胸に抱いた子たちは、いつか社会の抑圧に面した時に、彼のことを思い出して自分を取り戻すことが出来るかもしれません。


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