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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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マノマノと岩石落とし

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 以前に老師から五祖拳の「橋」という動作について教わったときに「これは投げだな」と思ったことがありました。

 中国武術の動作は一つの意味だけでは無く、打、摔(投)、擒(掴み)の三つの要素を常に含んでいるのでこれは当然なのですが、その中でも特に投げとしての要素が強いと感じたためです。

 というのも、それは柔術において岩石落とし、あるいはジャケットを掴んだ折には衣担ぎと呼ばれる動作そのものであったためです。

 何を隠そう、私は岩石落としが得意技でした。

 相手が残ったときには裾払いに連絡し、あるいは逃げる方向によっては崩れ岩石という崩れに移行し、また別の方向なら夢枕という別の技に移行し、さらには土下座岩石と名付けた見た目最悪の崩れ技さえ編み出して、相手がどの方向に逃げても変化して倒せるようにしていました。

 そういった縁のある動作であったために、橋を見てすぐに用法が感じられたのですね。

 その時から何年か経ってつい先日、老師からその用法を教わりました。

 素晴らしい答え合わせになりました。

 この、海賊武術である南少林拳の五祖拳にこの動作が含まれていたことによって、日本柔術の始まりは明代の陳元贇である、という説の元になった要素が推測されます。

 陳元贇自身は知識人であって武術家ではなく、日本の武術家に「遊行中、武術家がこういうのをやっているのをみた」という形で技を説明したらしいのですが、その折にこの技が伝わって岩石落としになったことは想像が出来ます。

 また、日本柔術の大好きな上げ手なども五祖拳の基本構造となっています。

 五祖拳は五祖と名にあるくらいで五つの流派の総合武術であり、また大枠では鶴法と呼ばれる福建から南海に掛けて普及していた鶴拳類の総合門派でもあります。

 ですので、特に五祖拳であると特定することは出来なくても、何らかの鶴法からこれが日本に伝わったということは考えられますでしょう。

 最近は巷間、五祖拳が沖縄空手のルーツであるというような風聞が広まっていますが、実はきちんと学べばこれは柔術のルーツとも言える訳で、だとすれば空手と柔術は兄弟であるという研究テーマも立てられることになります。

 こういったことを、きちんと自ら入門、研鑽して学んで行く次世代の誠実な研究家の登場を待ちます。

 空手で一人前になるのに五年ばかり、柔術で免状を取るのに十年、その後、中国武術をまた十年ばかり研鑽すれば順当に行けばこれらの事実を検証するにたることが可能になりますでしょう。

 信頼を得て、時間を掛けなければ当然不可能なことですので、誰にでも出来ることではありません。自分の人生はこのために使うのだ、という人が現れることを待つことになります。

 そういった人たちの研究を効率化するために、いまの私の研究があります。

 この、五祖拳における岩石落としの用法を教わった日に、また別の五祖拳の練法を教わりました。

 これが、二十年前にフィリピン武術のマノマノ(徒手用法)の練習でやったことがあるものでした。

 その動作を初めて経験した時に「あ、これは中国武術ではないか。マノマノのルーツは中国武術ではないか?」と思ったことが、後にフィリピン本土に渡って研究をすることになるきっかけでした。

 より精密に言うと、練習をしている時は「琉球カラテみたいだな」と感じたのです。

 ということは当然中国武術からの派生であるということになります。

 渡航以前、五祖拳と言う武術は東南アジアで広く普及していて、最も盛んなのはフィリピンにおいてである、という話を聴き、現地に渡りました。

 正直、その頃にはフィリピン武術の研究自体はもう目的から言うと二番目の物となっていました。

 結果、現地では五祖拳は極めて危険性が高いと言われる中華街に広まっている物で、何度フィリピンに行っても私はそこにたどり着くことが出来ませんでした。

 しかし、現地のフィリピン武術のグランド・マスターにお会いすることが出来てそちらの修行が叶い、私自身グランド・マスターになることが出来ました。

 また、その流派のフィリピン武術が中国武術にルーツを持つ物であったことも分かり、研究のアウトラインに目鼻が立ちました。

 このようにして、空手、柔術、フィリピン武術に共通するルーツとしての中国武術に遭遇するのに、何十年もの年月がかかっています。

 これをまた、次の研究者が0から始めては、本当にいつまでたっても中々に歩みが大変なことです。

 そこで私がこれまでのことをまとめ、次の研究者に渡せば理解が短期間で進み、次代の人たちはそこからのスタートが可能になります。

 あとは、こういった学問の探求と人類への貢献のために人生を使おうという人が、現れる日を、自分のやることをしながら待とうかと思います。

 あるいはそれは私の死後になるかもしれませんが、学問の仕事は確実にこうして残っているはずですので、こうして真実を探求してゆくということは、やはり何かの役に立つことでしょう。


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