Quantcast
Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3388

ネイティヴ・アメリカンの視点から 5

$
0
0

 前の記事ではネイティヴ・アメリカンの、というよりはインストラクターであるトムJRの師匠である忍び歩く狼が作ったということになっている彼らがレクチャーしているスピリットとの繋がり方が瞑想であることと、その瞑想が禅の物と共通しているということを書きました。

 トム自身は自分たちの物以外の瞑想がただ座ったままや動かないままで行う物だと著述していますが、実際には動かない物は静功、動く物を動功と言って私たちが行う物は動きますし、最終的にはどんな時でもいつでも瞑想状態であるとします。

 これを私たち伝統的アジアの身体哲学では一つの段階の目的としています。

 こういったことを、元神を回復すると言ったりします。つまり、動物の時代の本能を回復させると言う意味です。

 そうなるとどうなるか。

 天人合一と言って天地と繋がって自然の一部となるとされています。

 これをトムはスピリットの世界に繋がる、と表現しているようです。

 彼の学んだカリキュラムの中では、スピリットの感覚を受信できるようになるまでが通常のネイティヴ・アメリカンの感覚だと言います。

 そして、発信が出来るようになるのがシャーマンの段階だとしています。

 彼の本の後半では、その段階での具体例が書かれるのですが、それらの内、一つはいわゆる「虫の知らせ」という物でした。

 この能力が発達すると、長距離を隔てた者同士のなかで会話が成立すると言うのですが、それは私の理解を越えた世界の話です。

 あるいはそういうこともあるのかもしれませんが、私には心当たりがありません。

 別の例としては失せ物の発見がありました。

 こちらは私にも覚えがある物です。

 以前にも書きましたが、暗くてごった返している広いダンスフロアで、友達の失くしたピアスを見つけたことがあります。

 彼女がピアスを付けていた耳に手をかざして気功の感覚を働かせて自分の内側に繋げて、それからフロアの方に歩き出すと言う単純な方法です。

 あとは掌の感じる感覚を眉間にある印堂穴に繋げて歩いていたら、そのままピアスに出くわしました。

 印堂とはヨーガで言うチャクラ、第三の目があるとされる場所で、師父からはこれを発達させると直観力が働くと教わっていました。

 何年も前に私はここの穴所が開いて活性化しており、師父から「第三の目が開いたんですよ」と言われていました。

 その時はそういう物をまったく信じていなかったので「何をバカなことを」と思っていたのですが、いや、実際にその後、こういうことが出来るようになったので、彼女からピアスの話を聞いて五分後にはもう発見することが出来た、という次第です。

 私はこれに、気功的な大きな穴所が活性化したことによる力を意識して使いましたが、トムの言うメソッドではそのような経絡や気のような言葉は使っていません。

 ではどのようなアプローチで彼が言う「スピリット」に発信をして答えを得るのかと言うと、同じく体の感覚に依るのですが、それはつまり、Oリングやダウジングのような手段だと私には読めました。

 ダウジングとは元々アメリカで水源を直観力で見つけるために生まれた手段だと聴いたことがあった気がしますが、本当だとしたらこれはトムの話に繋がることになります。

 こういうことは、私たちのように一定の訓練を積まなくてもあるいはそう難しくなく出来るのではないかという気もします。

 ただ、これらの能力に関しては、私は偏差や禅病、魔境と言われる間違った悟り、精神病や神経症に繋がりやすい物だと教わっているので、自分自身厳に取り扱いに注意していますし、与える人も厳選しています。

 師父自身が始めに教えて下さる前に、それらの病状が始まる前に治す自浄作用のある気功を与えて下さったくらい、その警戒は重要な物として扱っています。

 私が昔いた派では、気功は偏差の元だとしてそもそもから行わなかったくらいです。

 トムもまた、このようなスピリットと繋がった状態は悪霊の攻撃を受けやすいとして注意を促しています。

 これ、私の解釈で言うならようはこっくりさんです。

 伝統派の気功の後継者であると同時に、現代人の研究者であり、キャンベル教授の読者として、私はこれらの物はみな物理的な物であり、間に介在する精霊や悪霊のような物はみな心理学的な事実へのメタファーであると認識しています。

 つまり、本来は自分自身の感覚であるのですが、一旦自我を離れて肉体を別の物としてその感覚を活用するために、方便として「こっくりさん」という物を仮定している訳です。

 スピリットでもいいですし、元神と言ってもいいし、精霊と言っても悪霊と言っても同じだと個人的には考えています。

 ただ、この状態に我欲が誘発されて無意識にイドの欲望や邪念が入り混じった時に、それは自分自身の醜いエゴの暴走としてコントロールを外れるということでしょう。

 幼児心理学では、初めはごっこ遊びとして行っていたイマジナリー・フレンドとの会話がやがて制御できなくなることがあると言いますが、それってまさにエクソシストに出て来た悪魔憑きそのものですね。

 多くの国のシャーマンは自分に動物の例を憑かせて予言をしたり失せ物を見つけたりすると聴きますが、この解釈でつじつまがあうように思います。

 もちろん、こっくりさんも狐憑き、飯綱使いとしてこの類であると判断します。

 トムが籍を置くネイティヴ・アメリカンの価値観では、このような呪術師はメディスン・マンと呼ばれることもあるようです。

 呪医ですね。

 つまり、彼はこのスピリットのメソッドで施術も行うということです。

 はい、以前に書いた中国最古の医術書である黄帝内経に書かれていた「これらの医術はほとんどの凡庸な人間には体得できない、心眼を開いた者にだけ可能だ」という記述とぴったり合致するように思います。

 なお、トムはこれらの医術を決して自分には行わないそうです。

 と言うのも、こういったスピリットの力は必ず、自分自身のためには使う物ではないと言う禁忌があるからだそうです。

 なにがしか、自分が行った力からの行動の先に、他者や世の中の幸せがあるときでないといけない。

 でないと、悪霊に憑りつかれることになるのでしょう。

 これは先に私が見立てた悪霊=自分のエゴ説として見て矛盾がなさそうです。

 こういう禁忌を守って自浄作用を大切にしているところがトムの信頼できるところです。

 私もこのような行の力を活用する前から、自分の力は自分のためには絶対に使わないようにしていました。

 暴力であったり、権力であったり、一族の力であったり、なにがしか自分の努力以外で獲得している力を自分のためだけに使って平気な人間になったら、必ず良くない影響が自分自身の心にあると思っていたからです。

 こういうことに自浄作用が働かず、人格が愚かしくなっていき、バカな行動が平気になって無意識にバカな行動をしてしまう習慣がつくことを、悪霊に憑かれたとか運が落ちるなどと昔の人達は言ったのでしょう。

 私たちは哲学の徒ですので、それらを因果、因縁であると言語化します。

 トムのこういった力へのスタンスは、非常にストイックで立派な物だと敬意を抱きます。

 一方、私たちは自分の能力の訓練のためにこの力を自分に使うことがあります。

 その獲得の先に他者への救済、社会への還元があるので、トムもOKだと言ってくれることでしょう。

 また、あらゆる自然物を口にして効果を試し、一日に70回も中毒を起こしていたという黄帝のやり方からの伝統とも言えます。

 と、言ったところが、私たちの学問とトム・ブラウンJRのスピリット技法との個人的な比較文化人類学でした。

 私は先日、COVIDの流れからくる世情の再変化から、実験的に対面レッスンを二回再開して観ました。

 その後の予定はまだ未定ですが、もし、いずれまた状況が改善して対面クラスが可能になったら、いずれは武術と言う物差しにもとらわれず、これまで書いてきたような身体哲学を様々な教材からのアプローチで行うクラスも開いてみようかなと思ったりしています。

 施術や身体能力開発のヨガ、自己療養としての瞑想、感覚を育てて活用する方法としての武術などを目的に合わせて使い分けて総合的な身体哲学観を得るというクラスになったら面白いかなあ、などと感じています。

 もしご興味やご相談のある方がいらっしゃったらご意見や希望などメールでください。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3388

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>