前回は、万物を産んでは食らって抱いて離すことの無い女神ガンガーが、クル族の王子の八番目の子供を連れて去って行ったところまでを書きました。
この後、王子はみそぎを行い、ガンガー女神は八番目の小王子を父の元に返したようです。
マハーバーラタと並んで知られる抒情詩、ヤーマーヤナを読んでいても感じられるのですが、インド文化では常に自分の行いや言葉に重大な責任を意識しています。
RRRのラージャマウリ監督の前作「バーフバリ」の中にある剣師カッタッパのセリフ「一度吐いた言葉は流れた血と同じだ。二度と元に戻ることはない」という奴です。
ヨーガスートラでも語られているのですが、ほとんどすべての行動にはカルマが生じます。
能動的に行った行動や意思表明である言葉などは、それがことさら重大です。
世の中にタダの物があると思っていられるのは何にも知らない子供だけ、いかにその取引を安全で上手く行うことが出来るかが大人の人生観という経済感覚でしょう。
これは中国ではやはり陰陽思想として伝わっていますし、仏教でも因果、因縁として教えられていることです。
なんでもかんでもタダで踏み倒せると思っているのは、近代以降の「大衆」と呼ばれる人々くらいの物でしょうが、現代日本には非常にこの傾向が強いようですね。
だからこそ私がこうして東洋思想の師父をしているのですが。
クル族の王子は息子を取り戻すことは出来ましたが、ここまでの間に約束を破り、よく考えないで判断をしたことで巨大なカルマを負います。
これによって大戦争が起きて酷いことになる、というのがマハーバーラタの大筋のようですが、しかし、それもまた、すべてを産んでは飲み込むガンガーのサイクルの中の当たり前のサイクルである、というのがバガヴァット・ギータ―で説かれるところです。
では、その因果がどのようにして繋がって広がっていったかをお話しましょう。
やがてこのうかつな王子は王位を継承して王となります。
そして今度は両氏の娘を見初めて結婚を申し込むのですね。
それに対して娘の親は、やがて生まれる子供を王位継承者にすることを結婚の条件として提示します。
それを聴いたガンガーの八番目の息子は、自分は生涯結婚をしないと誓いを立てて、父親の新しい結婚を支援します。
ここでもまた、父親の行動によるカルマと、それを贖うための息子の支払いという陰陽の調整が行われます。
この陰陽の経済感覚が私の思う本当に大事な功夫や気功における実践面での思想です。皆さんも覚えておいた方が良いと思いますよ。
さて、この誓いを立てて父の元に漁師の娘を連れて行った八番目の息子は、この行動によってビーシュマ(恐るべきもの)と呼ばれるようになりました。
ここからがカルマの取り立ての始まりです。
王は二人の男児を遺し、このビーシュマの二人の弟は成長するのですが、まず上の弟が王となった後、戦争で死亡します。
さらに下の弟も王位を継いだ後に夭逝します。
漁師の娘は王国を存続させるためにビーシュマに王となって弟の遺した嫁たちを娶るようにと頼むのですが、ビーシュマは誓いを破りません。
代わりに高僧たちを招いて弟の嫁たちと交わらせて王子を作ることを提案します。
この辺り、キリスト教的一夫一婦主義に概念が染まりきっている我々からするとかなり衝撃的ですが、これが元々のアジアの価値観です。
そんな西洋式の貞操意識などという物は存在していない。
ここに我々は、いつも私が書いている精(性的エネルギー)信仰の実態を見ることになります。
続きは次回お話いたしましょう。
つづく