先日、五祖拳の対打をしていました。
片方が突き、片方がそれに対する返し技を反復して套路の中の用法を入れるという内容です。
この時、突く側は木人のようになって手を出しているのですが、老師が今回はそこに勁を入れろと言う指示を出されました。
五祖拳は通背とは違って蔡李佛のように強い整勁を用います。
その状態で振り回すのではなく、まっすぐ突くところが難しい。そこにまた別の工夫が必要になってきます。
が、この時はただ木人から強い木人になるだけだったのでまだ上手く突けなくても役目は果たせます。
そこでこれも練功なのできちんと鉄線勁を通して役割を果たしていたのですが、すると仕手をされていた師兄が何度か打ち込んだところで、ちょっと手違いをされました。
そうして中身の繋がりが弱い状態で打ち込むと、打ち込んだ側が跳ね返されます。
この時に出た師兄のつぶやきが「出たよ」。
この功は「全身を勁の詰まった鉄球にして相手を引き潰す」と言われる物で、相手を打たなくても相手が打ち込んでくれば排打功となって相手の威力を相手に弾く物になります。
そういう意味で、整勁が維持されたまま動かない受け手の方が圧倒的に有利な物になります。
元々この功は、私は心意拳を練習していた時に教わりました。
心意拳の代表的な練習法にお互いにぶつかり合う排打功の対練があります。
これをすると、お互いの排打が高まります。
それはすなわち整勁が強まると言うことなので、相手を打つ勁が強まるということになります。
この時、心意拳では単重です。
蔡李佛では恐らく単重でも双重でも出来るのですが、私は心意の経験があったのでずっと単重でやってきました。
しかし、五祖拳に入ったときにそのままやったらどうしてもうまく行きませんでした。
門の全体が双重で出来ているので、それが出来ないとどうもうまく行かない。
ここに、広東南少林拳の大きな平馬と、福建系南少林拳の短橋狭馬の用勁の違いがあるように感じます。
最近になって五祖拳の双重を繰り返しているうちに、心意拳の基本功である鶏行歩の要領について掴むところがありました。
おかげで両方での用勁が良くなったのではないかと思っていたのですが、今回の対練でそれが間違っていなかったことが確認できたように思いました。
やはり、それぞれの拳にはそれぞれの設計思想があります。
それらを違う物として一つ一つ体得してゆかないと、本当に理解には繋がらないことでしょう。