現在、私の周りにも偏差を起こしたのに自覚のない人がいます。
数十年前に肩を壊して以来ずっと痛めているという人なのですが、壊したきっかけはというと気功をしている時に手を上げたら壊れたのだと言う。
手を上げただけでそんなに損傷が残るほど壊れる訳はないのですよ。
これは私に言わせればやはり偏差なのです。
そして、典型的に偏差を起こすタイプの性格で、いつも他人と自分を比べてオドオドしていて、人の足を引っ張って安心を得ようとしていて、自分の損得と感情のことにしか関心がない。
お釈迦様の言う三毒、貪瞋痴を絵にかいたような方で、実にもったいないことだと私は常々思っているのですが、それこそがヒンズーで言う修羅界に落ちたということで、自分で気が付かない限りは誰もどうにもしがたいのでしょう。
この方や歯の腐り落ちた方のように、分かりやすく気質的な偏差が起きた場合は、まだそこで気功を辞めれば引き返せますし長生きが出来ます(生き方は変えないと別に良くはならないのですが)。
問題は、取り返しのつかない病に至ることです。
ガンと統合失調、白血病について書いてきましたが、偏差によってこれらが発病する傾向は極めて強いようです。
いずれも、自己免疫や恒常性の崩壊からくるものだと言える気がします。
気功によって本来持っていた恒常性をより良くしようとしていじった結果、バランスが崩れてしまって自分で自分を攻撃してしまうと言う免疫系疾患はいかにも起きやすいように感じます。
昭和のヨガの第一人者のような父親を持つヨガの先生も、やはりヨガの偏差を起こしたそうなのですが、具合が悪くて病院に行ったところ大腸に腫瘍が出来ていたとのことでした。
流石にこの方は心得があるので、以来それまでのヨガの行を改めて事なきを得て、手術で治して移行再発はしていないようなのですが、自分の中に自分を攻撃するもう一つの自分が具現化してしまうと言う腫瘍は、いかにも偏差的な感じがします。
自己の意思の統合が失調し、分裂した自分自身を心身に持つと言うことが、この手の偏差の病には顕著であるように思えて仕方がありません。
私の処にも、オカルト的な物を求める人、超人的な力が開発されてきたらそれに溺れる人、自らを止める心を持ち合わせていない人などが沢山来ましたが、みんなそれが感じられた段階でそれ以上の修行の続行は不可能だと宣告しています。
そのような浅ましさやむさぼる心が自分を食いつくしてしまう。
だからこそ、自分を希釈して自己を止滅させるという正しい瞑想が不可欠なのでしょう。
つづく