現地では、バストンのことをアルニシャーと呼んでいました。
日本のように、いろいろなゴーグルやグローブのような物は現地の人達は持っていないのですが、アルニシャーだけは安価らしく、みんないくつも持っていました。
中には自分のをくれる人もおり、私自身も現地で所有数が増してゆきました。
ハポンに帰るときには両手で抱えるくらいになってるぞ、とグランド・マスタルに笑われました。
そしてそのグランド・マスタルが言ってくれたのは「いいか。そうやって、いつもいくつもアルニシャーを持って歩くんだ。そうすれば、誰かに出会ってアルニスをやりたいと言われた時には、その場で差し出して練習ができる。お前の居るところすべてがアルニスなんだ」という言葉です。
この言葉に、仏の教えを見ました。
このアートのマスタルであると言うことに、時や場所の区別はないのです。
いつでもどこでも、私にマスタルとして生きてゆきなさい、という導きの言葉のように思いました。
カンフーの師父からも「師父とは何かということを、納得が行くまで考えなさい」と言われました。
それには一生かかるかもしれないけれども、それが師父であるということのようなのです。
二人が与えてくれたのは、ただアホのように戦うためだけの技術ではありません。
私の人生の課題であり、それは人生そのものです。