南派拳法のイメージと言うと、やはり堂々とした平馬なのではないでしょうか。北派で言うところの馬歩ですね。
南船北馬と言いながら、馬に乗るように大きく腰を割って姿勢を低く落としたこの姿は、少林拳の流れを感じさせる物です。
これを、船の中でも揺れないようにしっかりと立つことで、独自の船の平馬が生まれます。
北の馬歩、また空手の騎馬立ちとは実はまったく中身が違う物だと思っています。
ある先生から教わったのですが、北の馬歩はその歩形を作る過程に発勁動作があるのだそうです。
なので、他の姿勢から馬歩に、あるいは馬歩から弓歩になる運動で力を発生させて撃つのだと言っていました。
どうやら震脚というのは、その時の動きで生まれる物のようです。沈墜勁ですね。
弓歩から馬歩になる過程には回転運動があります。転絲勁ですね。
この回転を、体を開くことでさらに強くすると十字勁ですか。あるいは、開合という動作ですね。
これらの三大勁力の理論は、北派では普遍的に行われてきたもので、清朝期に太極拳がブレイクした時に言語化されて広まったと聞きます。
我々はこれらをまったくしません。
試しにYOUTUBEの動画などを見てください。代表的な平馬の南派をいくつか見れば確認できるはずです。
これが、私が言う南船の勁です。
まるで船が揺れないようにしているかの如く、足元を踏み鳴らしもしないし胴体を回転させもしないし、両手はわりに近い位置にあります。
きっと、三大勁力理論で割り切れないために、南は力技だなどと言うでまかせが広まったのではないでしょうか。
南には南の勁力があります。同じような歩形をしていても、まったく中身が違います。
空手にも、騎馬立ちという物があります。
これは南の拳法が琉球王国に伝わったのが始まりだからなのでしょうが、日本化してからはまったく中身が変わりました。
騎馬立ちは平馬の勁がありません。
そのために、正拳突きには勁力がありません。
うちの前の代の先生が日本に拳法を広めに来た時に、空手の道場を見て驚いたそうです。日本人、ミンナ平馬出来ナイヨ、と言っていたと聞きました。
私自身も空手を十年ばかりやっていましたが、まったく平馬の勁を教わったことはありませんでした。
日本では相撲が盛んで、四股という物があったことが平馬が変わったことの原因であると思います。また、剣術での立ち方も関係したかもしれません。
体重をうまく使って相手に浴びせるというのが、お相撲の立ち方の構造思想でしょう。これは、もともとの南派拳法の思想とはまったく逆転しています。
いかに体重を浴びせないかというのが、南の勁力の基本だからです。
我々蔡李佛拳の基礎の基礎が、五輪馬です。五種類の立ち方の練習をするという物です。
その、最初の一歩目が、吊馬です。
これは北で言うところの虚歩に当たります。
これが、もっとも重要なのが吊馬であるという意味なのではないかと感じます。
なぜなら、中国武術には単重の原則というのがあるからです。
つまり、体重は必ず片方の足にあるべしという構造上の教えです。
吊馬も、ツマサキ立った方の足の体重をいかに減らすかが肝心です。後ろ足一本で立って、そこに軸を作ります。これが我々の勁力の基底となる定力となります。
この吊馬→定力の法則はあらゆる姿勢に内在します。
平馬も、騎馬立ちのように体重を分けるのではなくて、体内で片方の足だけに重心を作ります。
つまり平馬は変形した吊馬なのです。
これが出来れば、実はあとはもうほとんどのことは要らないのです。これで発生する定力を強化し、そしてそれを打点につなげる功を練ってゆくのです。
体の中で定力を伝えるのです。
瞬発も体重移動もしません。ただ、手で打つならきちんと立って相手に触って伝えるだけです。
平馬の拳法の、真横に打つ拳を見ると極めて奇異に見えます。
どこも動いていないで、ただ拳をちょこっと出すだけで、打たれた相手がくの字になって苦しみます。八百長のように感じます。
しかし、これこそが南船の勁力の発勁なのです。
この不動の状態からトンと触れて効かせてしまうのが私たちの誇りであり、昇華です。
これに慣れれば、体内に定力を発生させられていればどんな姿勢からでもただトンで打てるようになります。
スタスタと歩いてきてトンと触れるだけ。これをスタトンと呼んでいます。
きちんと順番に練功法を学び、きちんと自分の物にしてゆけば、比較的短期間でこれが出来るようになります。
もちろん威力は功夫で変わるのですが、それでもこれ自体が大変に貴重で、大切に伝えられてきた宝だと思います。
まだ威力は弱くても、達人の動きそのものだと感じられるものだと思っています。
スポーツ運動の延長にそれはありません。初めの一歩から決まった道のりがあるのです。
その一歩目は吊馬で踏み出します。そして平馬で練ってゆきます。
平馬で乗っている船が、蔡李佛拳という伝統です。