本日の稽古では、勁力の効かせ方と言うのをよく練習しましたが、それには位の取り方が重要になってきます。
上っ面をはたくのではなくて貫通して利かせる訳ですから、きちんとそこが取れる位置が欲しい。
その場所というのも必ずしも体が真正面にある必要はなくて、勁力さえ貫くように使えるなら、身体は余所を向いていても、手の位置だけがセットされていれば出来ますし、応用として正面に居ながら背後から打つこともできます。
これは、釣りで川に入る人が掃いているような胴長と呼ばれる体までのゴム靴のような下半身の勁と、セーターを着たような上の勁を併用することで可能となります。
そのように全身を勁で包んだ状態を、勁力の鉄球と表現しています。
私達の勁力は打つ時にだけ発射するようなものではありません。まとう物です。
これをまた別の言い方で、鉄橋、鉄馬とも言います。
我々の勁力、鉄線功で足から手までを徹しているのですね。
中国武術のルーツが、実は組み技だと言う説があります。
取っ組み合いの前提があったうえで、それを土台で当てるように進化したのだと言うのです。
確かに、それは一理ありそうな話です。
中国武術は隙あれば相手を転ばせようとします。掃腿という動きが常識的な装備としてあります。
この掃腿、足をスワイプする動作で行う足払いのように日本人は感じることが多いのですが、実はそうではないと私は思っています。
掃腿は、タイミングなどで掃う技ではなくて、あくまで勁力で相手を倒すものとして練習をしています。つまり、あれもまた発勁で行うのです。
きちんと鉄球の勁力が伝わる位置に位を取り、そこから掛ければ、きちんと立っている相手でも倒せます。
稽古で学生さんたちが試したのですが、同じようにやってもどうも掛からない。踏みこたえられてしまってます。
そこを勁力で根こそぎに踏みつぶすそうにして倒します。
巨大な鉄球が根の張った樹を押し倒すようにです。
これには功夫が要ります。技で掛けているのではなくて、地力の強さで行っているからです。
私達の拳法は、良くも悪くも力任せ。拙力ではなく、勁力任せにぶったおしてゆきます。小手先の手品ではないのです。
日々の積み重ねで、その功を養ってゆきます。