朝稽古が終わって、午後の練習までの一休みタイムです。
昨日、かなりぶつかり稽古をしたせいか、勁の徹る背中が張っています。
昨日に続いて今日も稽古に来てくれた学生さんは、夜中に目が覚めたら片腕が上がらなくなっていたと言っていました。
これは勁力のぶつかり合いを経験した人の典型的な反応です。
これまでにも立派な先生から何度かそのようなケースを聞いていました。
たいてい、中国に修行に行った初日に手荒く歓迎されて、翌朝身動きが取れなくなっているようです。
交通事故にあった直後は平気でも、寝てる間にこわばっているという例と同様のものでしょうか。首や肩、背中などがまったく動かなくなってしまうことがあるようです。
これはまだ換勁が進むということで、排打功や打樹、打壁功などをしても起きるように思われます。
症状が回復すると、我々が膜と呼んでいる内側の勁力の伝わる部分がさらに強くなります。すると今度は、打ち方は一切変えていないつもりでも、勝手に自分の発勁の力量が大きくなっています。これを繰り返して、我々は独特の肉体の発達をしながら功を積んでゆくのです。
これが、技ではないという由縁の一つです。
私自身は今回、ぐったりと疲れて逆に膜の張りが失われてしまいました。これもまた勁力の疲労の典型の一つです。
こうなると、勁が弱まって威力が出ない。朝稽古では発勁がまったく切れ味をなくしてしまって戸惑いました。
私も学生さんも、こうやって進化してゆくのですね。
できる人とぶつかりながら稽古してゆくと、新しいことを学ばなくても、身体は成長してゆきます。
最近の新古武術、中国武術は、どうも新しい情報とテクニックに目が向いていて、こういう地道な昔ながらの功夫のはぐくみ方が見落とされがちな気がしてなりません。
うちは決して体育会系の団体などではありませんが、同時に最先端の流行りの情報を追いかけて東奔西走する団体でもありません。
伝統をなぞり、伝統を咀嚼してゆくことで、由緒正しい古伝を身に着けてゆくことで、東洋的な身体哲学の知性をライフスタイルに取り入れてゆくことを主眼としています。