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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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武士道、野球道

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 いつもこのページで、近代社会と文明病の視点から対抗手段と言うスタンスから伝統武術の有用性を熱弁していますが、これ、近代化によって日本でもより顕著になったと思っております。

 明治の御一新のおり、それまでの「日本は神武の国であり、神の代行者としての武士が奥州征伐をはたして全土を平定せしめる」という歴史観の撤廃が行われて、新たに「富国強兵」という思想が国の運営コンセプトとなりました。

 この近代化の本場である西洋では「神は死んだ」という王政神授の否定がフランス革命で行われて、資本主義という新しい法によって社会の運営が行われながらも、同時に信仰は残り続けるということが可能であったため、諸国は日本が持たない強さで領土の拡張を成し得てきました。

 それは精神的な支柱でもあり、また国境を越えた倫理の汎用性であり、物理的には宣教師の行動力としてアジアや南米、アフリカなどへの推進力として機能していました。

 それを例にとって、日本でも同様の機能を持ったものが作りえないかと「武士道」という物が編纂されました。

 それに伴って、現代武道という物もまた次々と生まれます。

 西洋から入ってきたスポーツという概念も、近代化日本の富国強兵主義の下で体育会系という思想に変遷してゆきます。

 個人のためなどという甘ったるい発想はそこにはあり得ない。まずはお国のための国民の健康の向上が図られます。

 平時においては労働力、有事においては兵士の確保というのがその目的なので当然です。

 その象徴的な物が野球でしょう。

 少年たちが丸刈りにされて罵声を浴びせられながら調練されるさまは、兵役の予備訓練そのものの方針で行われています。

 現代においては主客逆転していますが、そもそもがあの独特のノリは草創期の近代武道の精神に由来するものであることは間違いないと思われます。

 サムライ・ベースボールとはよく言った物です。 

 反戦番組が流れつつ、同時に高校野球が放送される日本の八月。これは一体どのようなことかと毎年首を傾げます。

 そんな野球の世界は、まさに初期の現代武道、つまり、武術の世界に共通した価値観でなりたつ世界であったということを知ったのは最近のことです。

 元大物野球選手が言っていたのですが、彼が現役時代のプロ野球では、相手にボールをぶつけたり、塁を守る選手の足を踏みつけて怪我をさせるのは常套手段であったのだと言います。

 そうやって怪我をさせて相手の戦力を減らせば勝てる、というのが当然の考え方だったそうで。

 そのシビアな考え方があるからこそ、圧倒的な実力から生まれる調和という物が発生するわけで、この話をしていた野球選手はピッチャーに対して「お前、俺にぶつけてこの試合勝ちにきてもいいけど、俺が野球界全体にどれだけの収益持ってきてるかわかってるよな?」というスタンスでいたようです。

 当然、スター選手が居なくなって集客が減れば全野球関係者の収入が減ります。

 そのようなことが分かっていて、弱い選手は怪我をさせられる、強ければ相手もうかつに手が出せない。ただ、場合によってはそれでも潰しに来る状況がある、という実に武的な状況の観測が求められていたそうで。

 この大物選手も、やはり胴体にぶつけられたことがあったそうです。

 しかしそこはやはり、戦国の大人武者の世界。相手にぶつけるにしても頭にやるのはやめて胴体にしようという計算も当たり前の武士のルール、喧嘩のルールとしてあったそうです。

「だから相手のベルトの金具を狙って投げるんだよね」というのが手口だそうでした。

 ボディにピッチャーのボールを食らったこの選手、次にそのピッチャーと対峙した時には、今度は相手の胴体にめがけてピッチャー返しをぶつけてやり返したというのだからさすがです。

 そういう武の駆け引きが出来るからこそ、彼は猛者として頼られ、恐れられて野球の世界に君臨が出来たのだとは本人の言うことです。

 それに比べて、いまの野球選手はスポイルされている。とのこと。

 相手が潰しにくるなんて思ってない甘やかされた状況でやってる。みんなボールをぶつけられると思って体張った野球をしていない、というのです。

 半身引いて危なかったらいつでも避けられるる用意をしながら打つ、というのが彼の時代のプロで、いまのようにただ打つことだけ考えてたら打てて当たり前だ、というお話でした。

 この辺りの、武術、ないし武道と格闘技の違いのようなお話、まさに生活や社会観と直結したものとして、我々は忘れてはいけないと思いますし、すべての大人が意識してあらゆる日常の選択をすることで社会の秩序がなりたつ問題ではないかと思われます。

 相手が攻撃してこないと思ってわがままなことばかりする子供のような人が、昨今少し多すぎます。


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