さて、前回は唐の時代の李靖が時を越えて紀元前の戦いに参加してしまっていることを書きましたが、その息子はそれどころではなくてインドの神様が元ネタだったということも書きました。
ちなみに、李靖自身も最後には神に封じられて多聞天になります。
物語が作られたのが明、清なので、すでに唐代以降の仏教の影響が強いのですね。
ちなみにお釈迦様がおられたのが紀元前600年ごろではないかと言われています。
封神演義の設定年齢が紀元前千年くらいだとされているので、まだ仏教は出来ていないはず。
なのですが、実は仏様がたも封神演義には登場します。
どうも見たことがない仙が顕れて大暴れして、どうにも他の人たちの攻撃が通じない。これはどうしたことかと思っていると実はインドから遊行にやってきた仏様の眷属であった、というエピソードで登場します。
ちなみにこの人は仏縁があったと言って菩薩様にインドに連れて行かれて修行をすることになります。
これで、西遊記の時にも書いた、そもそもの着想点である、仏教と道教の比較に話が戻ります。
封神演義の物語の中では、道教同士での対立が中心として描かれていて、仏教勢はかやの外にやられるというルールがここに見えます。
もし仏教系でもすでに道教の神さまとして土着化している場合は、殺されて封神されるわけですね。
なので、多聞天と言えば仏教名ですが、託塔李天王と言えば道教の神様ということになります。
この辺りがやはり民間信仰のおおらかさというものでしょう。
そんなわけで、これは道教の神様、こっちは仏様管轄、と言うように選別されて中国の神様というものが作られました、というのが封神演義です。
こののち、三国志の時代に関帝が財神として封神されたり鍾馗様が浪人の守護者として追加されたりしていきました、というのが設定上のj系列の流れなのでしょう。
そしてこの世界観は、次に水滸伝にダイレクトに引き継がれてゆくことになります。