形意拳は、日本では大変にポピュラーな拳法です。昭和の中国拳法の草創期に、太極拳と一緒に伝わってきたからでしょう。
中国では、名前は知られているもののそこまで誰もがやっているという物ではないようです。内家三拳の一つとされていますが、まったくそれらしい感じの少ない奇妙な拳法です。
また、技法が少ないのもすこし中国の人にとっては物足りない印象があるのかもしれません。
しかし、これはスタトン型拳法、スタスタと歩いてトンと触るだけを目指すタイプの拳法としては、ある意味で当然の帰結の気もします。
とはいえ、基本拳たった五つ、応用法(練功法?)十二個というコンパクトなまとまり方は、ずぶの素人から始めたとしたら大変に至るのが難しいように感じます。なにせ階段の一段ごとが高い高い。私自身も長い年月大変に苦労しました。
ですが、不思議なことにいま、蔡李仏拳でスタトンの位置に来たところ、ほとんどのことが形意拳の形に昇華されるようになってしまいました。
蔡李佛の基本権は八卦拳法と言いますが、実際のところは四つほどです。これも非常に少ない。
それに、五輪馬という五種類の歩法を足して蔡李佛の基礎の形になります。
蔡李佛は大開大合と言って、まずは大きく学びますが、勁が出来てくるとそれらを統合してまっすぐに小さく打つようになります。
それが出来ると、今度は接近戦法で使うようにし、最終的にはスタトンになります。拳半分ほどの距離でもトンと触れば充分です。
この段階になると、まったく形意拳と見た目の区別がつきません。
そのため、最近では私は形意拳の練習をするとかなり場所を取らずに稽古が出来ます。
よくできたよい拳法だなあと便利に思います。
冬場で厚着をしているので、動きが小さいと着崩れせずに大変助かります。
ただこうなると、もう武術としての個性が表面にあまり出ないので寂しくも思いますが、同時に形意拳というのが、もはや没個性になるまでにシェイプされたものなのかもしれないと思うと、入口はどうあれスタトン系なら最後はなんでも同じだなあと思いもします。
ただやはり、いきなり完成系からは難しい。
インドネシアのクンタオ・シラットは鶴拳から生まれていて、最終段階になると形意拳を学ぶそうですが、おそらくは私のたどった道と似たようなことなのではないかと思われます。