拳法を小さく打てると、形意拳のようになってゆく、というのはよく聞く話のようです。
太極拳の先生が勁は形意の物だったり、八卦掌と言いながら実は形意であったりと言うのはよくあると聞いたことがあります。どちらも知らない私には見て取れませんが。
私の場合は、学んだ形意拳が特殊な物で、他の形意とはまったく違う物になっています。ドンドン足を踏み鳴らすような上下運動のともなう物ではまったくありません。
なので、たまたまそれが南船の勁と同じ静かな物だったので私は蔡李佛と形意がつながりました。
形意拳と言えば縦の回転力を使う、と言う話をいくつかの場所で読んだのですが、それに対しては首をひねってきたのは、自分の形意拳が余所のとまったく違うからだと思ってきました。
なにせ見た目がシンプルなだけに、さまざまな方法がその形で行えます。
しかし、縦回転とはなんでしょう。人間がそんな風に回るのはバイシクル・シュートかルチャ・リブレかなんて思ってしまいます。
ですが、少しそれらしき物に心当たりが出来たのは、客家拳法を学んだ時です。
そこで、浮沈という発勁法を知りました。
背筋をのけぞるようにした状態から、パンチング・ボールのように前に振るような動きです。実はこれ、福建拳法でも行うそうです。
客家拳法も、福建拳法も、おそらく共通性があるらしく、短橋短馬で、橋法を多用し、単打を撃ってゆく似た構造のものです。
これ、ある意味で形意拳にもとても似た姿勢です。
私の学んだ系統の形意拳は、このように上半身を振って相手にぶつけるような発勁をしてはいけないと固く戒めていました。一打の勁力が足りないと言うのです。短勁と長勁の違いです。瞬発などをして短い発勁をするのではなく、動きの見えない長い勁を要求されていました。
しかし、勁の種類は違えど、形意拳、客家拳法、福建南拳というのは、とても似て見えます。これはもしかして、何か伝播の経緯のような物があったのではないでしょうか。
と思って調べてみたら、形意拳は少林寺にルーツがあると書かれた文章がありました。開祖が少林寺で十年修行を積んで編み出したと言うのです。少林寺にはこの時の名残で心意把という拳法が残っていると言われます。
この、少林拳をまとめて小さくして勁を見えなくしたのが形意(心意)拳だとして、それが変化しつつ南下した可能性は充分あり得ると思います。
そうでないにしても、少林拳が小さくなると形意拳のようになるというのは発生に由来するからと言える可能性があります。
だとすれば、私の蔡李佛拳もまた、小さくなったら形意拳のようになったのも当然と納得のゆくことです。