前の書き込みで身体に換気口を作ると言うことを書きましたが、これが気功、武術で言うなら内功において実は体の作り変えの重要なポイントであったりします。
この通風孔を作るためと思わしい要素が沢山の気功法に内包されています。
八段錦にもあるし小周天にもある。
一般に行われるそれらの物の解釈では語られていないかもしれませんが、我々は明確に意識します。
これはもしかしたら、一つの気功法を武気功として行うか、それとも別の物として行うかでの使い分けがあるために自覚的になっているからかもしれません。
八段錦で言うなら、八っつめの功法で行う処など、武気功として考えれば震脚動作を養っているとも思えるところなのです。
これ、引進落空しての反動を足裏から脳天に抜くという動作なのですが、純粋に内功として考えれば体内に強い気を通して頭から抜くということに取れます。
この動作によって、百会の経穴などが閉じているところに内側から刺激を与えて無理やり開くという効果が示唆されているように思えます。
おっと、でも真似をしないでくださいね。このやり方でインドでは沢山廃人が出ているそうですから。
そのインドのヨガがチベットに伝わったとき、この内側のエネルギーはルンと呼ばれるようになったと習いました。
ルンとは風という意味だそうです。
気と言う物を、身体の中を吹く風としてここでも表現している訳ですね。
すなわちヨガ、気功とは体内に風が吹き抜けるようにするものです。
その通りをよくするために、いくつもの通風孔を開いてゆくことは重要になります。
人間と言うのは赤ん坊の時はまだ臍帯で母体と繋がっている間は母親の一部であって人間としては未完成な状態だと言われています。
それが母体と切り離されて独立した時には、まだ繋がるための会陰部と百会の経穴が開いてるのだと言います。
これが閉じてきて埋まると独立した機関となって人間の機能を持つようになります。
だからこうなるともう水中での呼吸は出来なくなる。
そして成長してゆくにつれてこの上下二か所を始めとした全身の経穴絡穴は閉じて行って、すべてが完全に閉じた時が寿命を迎える時だと言われています。
気功や鍼灸と言うのはこれらの穴を開いて生命力の減退を抑えるわけです。
小周天やクンダリニー上昇というのは、これらの穴所を再び開くことになるものだと体感しています。
中国武術でいうなら、これらの風を吹かせて用いることに真価があるのであり、決して筋肉を縮めて固めたり、骨格のすえ方からくる力そのものを活用することはコンセプトではありません。
その段階まで行かないと、いわゆる高級武術いうには値しないものだと思われます。
こうしてヨガや気功法、仏教や道教の行として同じ高みにゆかないと、武術の深みに触れることは難しいかと思います。
追伸
ただ、もちろん合戦のための戦闘法や護身術としての武術も必要性があったことを否定するものではありません。
しかしそこを越えて先に行けてこそ、武術という物の本当の昇華があるのだと思います。