本日は身体を悪くされていた遠方の学生さんが来てくれました。
久しぶりなのでさぞやなまっているんだろうなと思っていたのですが、あにはからずやずっと功夫が上がっていました。
いやいや、やはり長くやってる人は功が積まれていくようにもうサイクルがなっている。
勁で飛ばすも重い重い。
ちょっと自信が揺らぐくらいの仕上がりでした。いや、向こうが強いんだから、結局当たり前なんですよ。
外見が大きくても勁が無ければ利かせられるけども、勁があればタイになるので、そうそうは利かせられない。
このように内勁によって打ってきた勁を無効化してゆくことを排打功と言います。
逆に、外側の筋肉だけがムキムキでも、それは板チョコのようなもので継ぎ目継ぎ目は弱いからパキッと折れてしまう。
我々のはそれではなくてヌガーのような一つに強くつながったチョコレートです。
十分に功が練れていたことが分かったので、次の段階に向かっていただくことにしました。
小周天ではやはり定番の後ろ三関と言われる詰まりやすい部分が引っ掛かっていたため、ちょっと私が外気のようなことを行いました。
すると、後頭部から眉間の印堂穴までに通る感覚が出たそうです。実際にその部分の膜も伸びて勁が通るようになっていました。
本来はあまりそういうことをすると、相手に土台となる功が積まれていなかった場合に危険なのでしないのですが、だいぶ大丈夫そうだったので特別です。
多くのきちんと備わっている中国武術門派は、一定の段階まで行った修行者には師父が同様のことをして法輪を開いたりするそうです。
そのようなイニシエーションが場所や時代で変動はあったでしょうが、昨今では数十万円ほどで行われていたと聞きます。
このようなあまり表に語られない真実の部分があるからこそ、私たちはいくら先生を自称していても出来ていない人たちを見分けることが出来ます。