本日、少しぶりに拳譜などを確認していました。
これは師父になったときにもらった物で、これを戴くまでは套路に出てくる細かい技の名前や式の数などの詳細は分かりませんでした。
一般に、認められて教伝を許された人間にしかこの拳譜という物は渡されないというのが中国武術での傾向であるようです。
うちの場合は、香港から来てくれていた大師が遺してくれた文書がいくつかありまして、それも合わせてもらった貴重な資料となっています。
これを時々読んで自分の状態とすり合わせているのですが、まさに今の私の状態がそこに書かれている内容そのものであって、大変に驚きます。
用勁のことや字訣のことなど、私が普段公開していることはとっくの昔に先人たちが常識としていたことではあるのですが、ホントはあまり広めてはいけないもののかもしれない。
自分自身、功が進むとわかってくる物が増えるので、この貴重な資料は見返すたびに発見がある貴重な導きの書です。
さきに套路の洪聖館、功法の鴻勝館、手法の北勝館ということを書きましたが、その通り、この書も練功についてのことが主要となっています。
相手の手と自分の手を合わせたところから攻防する橋法という技術に関しても、北勝館から持ち込まれたと資料には書いてありました。
おそらく、歴史的経緯を考えるに李家拳の影響が強い物でしょう。
とはいえ、実際は中国武術で橋法が無い門派というのはほぼ存在しないということです。
日本ではカラテなどの印象で、相手と接触して組んだりしながら打つという発想が薄いのですが、これは中国武術が上手く伝わらなかったか、途中で失伝した物でしょう。
完全に本土武道化して空手道となったときには、手足を竹刀に見立てて本格的に剣道の動きを土台とした技術の編成がされたようです。その流れを継承したテコンドーやキックボクシングも同様の間合い感覚となったため、それが日本人の格闘技のコンセンサスとなったのだと思われます。
しかし同じく中国武術の流れにあるムエタイは組んでの当て身技が残っていますし、90年代くらいに禁止になったそうですがそれまでは投げ技も普通に行われていました。
離れたところでただ撃ち合うという概念は、大陸においてはそもそもは無かったものであるようです。
おそらくもっとも長い間合いを持っていながら基本的な物であろうというイメージのある長拳類も、実際には橋法などが充実しているのだと言います。
現代人の思い込みが、昔から伝わっている物をくみ取る能力を曇らせてしまうという危険がここにも存在している気がします。