最近、改めて五獣の鶴の重要性に目が行くようになってきました。
私たちの五獣、虎、豹、蛇、鶴、象のうち、鶴だけが鳥です。
そして、ルーツの一つは白鶴拳であり、また流派の名前は鴻勝館でやはり鳥です。身内を示す符牒のうちにも、鳥を意味する動作が沢山出てきます。
これは荘子に由来しているのだと思われるのですが、同時に身体動作のコンセプトそのものでもあります。
同じく動物の要素を身法の訣としたものに、形意拳があります。形意拳では鶏の脚、熊の腕、虎の頭、鷹の爪、龍の腰という考え方をしているのですが、このうち、鶏の脚は実は蔡李佛の鶴に相当します。
トリアシ、という言葉が80年代に一部で流行りましたが、これは膝の曲がり方が逆だということです。
つまり、鳥の立ち方を模倣するということは、膝関節を主体とした骨格運動ではなく、裏側の筋肉の中に芯を求め、それを立ち方の土台にするということだと思われます。
この下盤の土台を上に上がってゆくと、次に腰がありますが、これを形意拳では龍になぞらえています。蔡李佛では実はここも鶴です。
腰の上には首があって頭があるのですが、これを鶴首や鶴頂というからです。つまり、足から首の上までの縦のラインをすべて、鶴になぞらえているのです。
さらに言うと、腕の部分が形意ではクマで表していますが、蔡李佛ではここも鶴です。大きな鳥の翼に例えます。これが独特の鉄線功です。
その腕の先、手の部分を形意では鷹の爪と言います。蔡李佛では、珍しく鷹爪というものがありません。
正確に言うとあるのですが、他門では鷹爪というのを、私たちは虎爪と言うのです。普通はひっかいたり叩いたりするのが虎爪で掴むのは鷹爪なのですが、うちでは両方虎なのです。
しかし、別の鳥の要素を入れる場合があります。
鶴です。
鶴手などと言って、手も鶴の羽先のような形にして用います。
北派のある拳法では、派によって掌を開いて使うところと閉じて指先をそろえて使うところがあると聞いたことがあります。
ある先生が言うには、開いていた方が手に気が徹りやすいから、閉じているのは間違いだ、だそうですが、私は蔡李佛をはじめた時にしきりに閉じろ閉じろと言われました。開くと気が徹りやすいがそのまま逃げてゆくのだ、とのことです。
いまでは指先をそろえていたもきちんと気と勁が徹るようになると言われました。これが鶴手です。
この、足先から頭頂、手指の先まではを一貫して鶴は表現しています。
その鶴の立ち方を練習するのが、今週末のワークショップです。