甲賀市が、忍者の末裔を探しているそうです。http://news.nicovideo.jp/watch/nw2040912
それにこたえて、家から手裏剣が出てきたとか秘伝書が出てきたとか言う反応があるそうな。
これは、よく考えてみるべき案件だと感じます。
これまで実は、ニンジャというのは存在していたという歴史的な証拠が一切存在していませんでした。
資料となるものは、江戸期以降の物がもっとも古いものであり、ほとんどは昭和になって忍者ブームが起きた時に作られた物だそうです。
もっとも古くまでさかのぼれる資料が、このたび甲賀市が募集した、甲賀五十二家の子孫というお話の元になっているものですが、この五十二家と言うものが言われるようになったのが十七世紀、江戸時代からです。
当時の甲賀は生活が苦しく、江戸幕府に女性の嘆願をしたのですが、そのおりに「我々は江戸幕府ができるときに、五十二家という人々が忍者という物としてお力を貸した。だから助けてください」というもので、その時に初めて甲賀五十二家という言葉や忍者という言葉が世に現れました。
つまりこれは、江戸時代には甲賀には忍者というものが存在していなかったという証拠となります。甲賀五十二家というのは歴史に浮上した段階ですでに食い詰めた土豪でした。
それらが、昔は忍者というものだったのだ、と自称したのが忍者の始まりです。
つまり、あくまで自称しかなくて、無心のための名文であり、びた一文実のない呼称です。
忍者の伝書だと言われる「万川集海」もこの時の嘆願文の中で初めて出てきたものです。
この中では、忍者は中国に由来しており、彼らはその子孫だということが書かれているようですが、ここに関しては根拠のないところではありません。
神奈川県には風魔忍者というものが居たという話がありますが、彼らの実態は渡来人であり、独自の技術力を持っていたために忍者だという話が作られたようです。
彼らの住んでいた場所は秦野といい、中国の秦族や朝鮮半島の人々を相称して秦氏と呼んでいたそうです。いまでもこの辺りには、唐人町といった地名などがあります。 おそらく、異国の文化や技術が後になって忍者を思わせるということで、風魔忍者伝説が生まれたのでしょう。
その神奈川県では、現職知事の黒岩氏が、風魔伝説にあやかって外貨獲得のために忍者を観光産業化しようとして活動しています。
黒岩知事はもともとミュージカルをやっていた人で、テレビでキャスターなどの経歴をしてから転身、いまでも舞台のプロデュースをするなどと芸能活動に明るい方で、おそらくは純粋にエンターテインメントとしての忍者、大衆芸能としての忍者を活用しようとしているのでしょうが、私はここに懸念があります。
これは、外貨獲得を目的として「これぞ禅宗総本家の秘伝である」として少林拳を名乗って大道芸のショーを運営していた中国共産党のやり方とまったく同じです。
あくまで大衆娯楽の中での架空の存在として忍者がフィーチャーされることには賛成ですが、ねつ造史観としてそれをわたくしする人々が多々出現することが想像されます。
伝統武術とはまったく違う表演武術が広まって中国武術の誤解を広めてしまい、真実の姿が広まることを阻害している現状のように、政治の後ろ盾を得た自称忍者たちが、あたかも武術を継承している人のような顔をしてくることが心配されてしかたありません。
物事の見方を変えて、それによって気分が変わり、自分の世界が変わるというのは気功や禅の考え方です。
だからこそ、そこにおいては単に我欲を肥大させるだけの都合のいい妄想を魔境と呼んできつく戒めています。
私が平素から、スピリチュアルのようなものを否定するのはそのためです。
本当に良いものを広めるうえで、その威を借りたまがい物が広まって世の中をより悪くすることは、決して賛同できないことです。
本物はちゃんとこの世の中にあります。
自分をだまさず、それを見つめ、そこに手を伸ばして納得のいく人生を送れるみなさんが増えることを願っています。